アブラハムの祈りは彼が神と一緒に歩んだ生涯の物語です。今日は「神と一緒に歩んだ」がポイントです。アブラハムこそ神と一緒に歩んだ実例です。神と一緒に歩むことは友達のように一緒に歩くことです。一緒に歩くと前に広がる同じ風景、同じ方向が見えます。二人が一緒に歩きながら見ている方向が反対だと一緒に歩むことができません。例えば、一人は右を見て、もう一人は左を見ると一緒に歩いているようで、一緒に歩くことではありません。
もう一つ、同じ方向を見ているとしても、互いに考えが違うと一緒に歩むことではありません。互いに考えが違う時は一緒に歩きながら、互いの考えを分かち合って、考えを合わせる必要があります。これらの実例が創世記18章だと思います。
1.平凡な日、日常のできごとの中、記念すべきお知らせ
創世記18章は平凡な一日から始まりました。 アブラハムは日の暑いころ、天幕の入り口に座っていました。 そこに 3 人の旅人が現れました。 アブラハムは彼らを見た途端、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏しました。 そして、素早くもてなしの準備をしました。
アブラハムがなぜ、ここまで丁寧に、素早く旅人をもてなしたのか、理由を考えました。 これらの 3 人の姿が天使のように見えたので、素早く動いたのでしょうか? 人の考えですが、天使のようには見えず、旅人のように見えたと思います。 食事を準備させたことは天使ではなく、人をもてなすことです。 ただの旅人のように見えていたのに、どうしてアブラハムはまるで天使に接するように恐れおののいているのでしょうか?
多分、創世記 17章で、神が子どもをくださると約束しましたが、それがいつなのか、毎日その日を待っていたと思います。今日がその日で、神からのお知らせがきたと思って素早く行動したと思います。神と一緒に歩むことは日々の平凡なできごとでも、神のお知らせをキャッチできます。 小さな事でも、何気ない事からも、神のお知らせをキャッチできます。 毎日主と一緒に歩んでいるからです。その日を今か、今かと待っているからキャッチできます。
エリ祭司みたいに 3 回まで行くことはありません。子どもが生まれることはもう決まっているので、それがいつなのかのことです。 もしかして、今日がその日かも知れません。
2.神らの事前情報、しかし、サラの厳しい現状
神と一緒に歩むことはこれからのことを事前に、予め、情報を分かち合うことです。 神はアブラハムに10節の情報を予め、お知らせしました。 「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」
その会話を後ろで、隠れて、聞いたサラは驚いて、思わず笑いました。サラがなぜ、思わず、笑ったかと言うと 11節を見ると「・・サラには女の月のものがもう止まっていた」からです。 サラは絶対あり得ないことだと思って思わず、笑いました。 サラの現状はサラ自身が一番良く知っています。 サラは彼女自身の厳しい現状を笑いで神に伝えました。 彼女自身も思わず、笑ったと思います。 サラの笑いに、神の返事は「主にとって不可能なことがあるだろうか。」
神と一緒に歩むことはこのように神が事前に情報を教えてくださることです。来年今頃、子どもが生まれるという神の約束があります。それに対して、それは絶対不可能だと思い込んでいるサラの厳しい現実があります。しかし、それでも、神にとって不可能なことは何もないことです。神はサラがこっそり笑ったことまでご存じです。サラは笑ってないと否定しました。なぜなら、サラが笑ったことを誰も知りません。彼女自身も思わず、笑ったことなので、笑っていないと否定しました。しかし、そのことまで全部ご存じの神です。そして、子どもが生まれ、サラは本当に大いに喜び、大いに笑いました。アブラハムとサラが神と毎日一緒に歩むことはこのような日々の分かち合い、日々のコミュニケーションです。
ここで、もう一つ付け加えたいことがあります。神がアブラハムに一年後の情報を事前にお知らせしました。それを世間では預言と言います。しかし、預言と言うことばは使いたくありません。神と一緒に歩むとき、主がたまにくださる事前情報を預言として認識すると傲慢になります。神と一緒に歩むための事前情報、それ以上でも、以下でもありません。それを預言だと認識すると神と一緒に歩めなくなります。預言だと認識すると傲慢になります。神と一緒に歩んだとしても、毎回教えてくださるのではありません。一回限りの事前情報を公開することです。
これから世界はますます、とんでもない時代になると思います。世界がとんでもない時代になると多くの偽りの預言者が現れます。彼らの預言は当たっていることもあれば、外れる時もあります。しかし、神と一緒に歩むことは未来を預言することではありません。あくまでも、一緒に歩んでいる中、事前情報を事前に、しかも一時的に分かち合っただけです。
3.違う考えを分かち合う
神からのもう一つのお知らせがありました。イサクが生まれることはアブラハムと直接関係することです。しかし、もう一つのお知らせはアブラハムと直接関係することではありません。確かに甥であるロトがソドムに住んでいるので、関係あると言えば関係ありますが、今日の会話でロトのことは全然口にしていません。ソドムとゴモラの罪ある人たちを裁くことで、神とアブラハムが話し合っています。ある意味では、取引のようにも見えます。ソドムとゴモラを滅ぼすことは正直、アブラハムと関係ない事前情報です。しかし、神と一緒に歩んでいるアブラハムに神にとって大事なことをアブラハムと分かち合っています
アブラハムに特別に事前情報を公開している理由は
16・・アブラハムは彼らを見送りに、彼らと一緒に行った。
17 主はこう考えられた。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
神は今まで 24 年間一緒に歩んできたアブラハムを親友だと思っています。これからのさばきに関してアブラハムに事前に分かち合っています。
17「自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」
23 アブラハムは近づいて言った。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。
25 ・・「全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。」
17、23、25節は神がアブラハムと毎日、一緒に歩んできた信頼の積み重ねです。ここで、アブラハムは神と率直に思いを分かち合いました。神はさばきを決められているのに、アブラハムは何とかして赦しの道を探しています。神とアブラハムの立場が反対になっているように見えます。普段だったら反対です。
23、25節は私達にとって大きなチャレンジとなります。私達はアブラハムのように祈れるのでしょうか? ソドムの人達は悪人ですが、アブラハムは彼らのために弁護しています。今まで 24 年間主と一緒に歩んできた信頼関係があるから、神と一番の親友だから、アブラハムはこのように祈っても大丈夫です。 私達も長年間、神と一緒にここまで歩んでまいりました。私達も主から「あなたにこれらのことを隠しておくべきだろうか」と聞いてみたいです。私達も神に「公正を行うべきではありませんか」と祈ってみたいです。そのためには神と一緒に歩んだ日々の積み重ねと信頼関係が必要です。
