<天の御国たとえ:花婿を迎える十人> マタイの福音書25:1~13 2026年11月1日

 イエス様は天の御国を結婚式にたとえました。ヨハネの黙示録の最後を見ると天国の様子がかいてありますが、聖徒たちはイエス様の花嫁です。天国でイエス様と再会する様子を結婚式にたとえました。天国を表現するものがいろいろありますが、なぜ、結婚式にたとえるのでしょうか? 人々の一番幸せの瞬間が結婚式だからではないかと思います。世界中、どこを見ても笑いに満ちているところが結婚式です。今日の箇所を十分理解するために、2000年前のユダヤ人の結婚風習を参考にしたいです。

1ユダヤ人の三段階の結婚式

1)婚約式

 二人が同居はしていませんが、法的にはすでに夫婦になっています。婚約後、約1年間新郎は花嫁と一緒に暮らせる家を準備して、花嫁は新郎を迎えられる準備をして待っています。

2)結婚式の当日

 結婚の準備が終わると新郎は友達と共に花嫁の家に行って花嫁を連れて来ます。移動時間が不確実ですが、主には涼しい夕方か、夜になりますが、行列になるので、暗い道を照らせる光が必須です。

3)披露宴

 新郎が花嫁の家に到着すると花嫁とブライズメイドを連れて、披露宴が行われる新郎の家に行きます。新郎の家に入りますと長い7日の結婚披露宴が始まります。披露宴が始まると泥棒とか、招かれていない客の侵入を防ぐために門を堅く閉める伝統がありました。門が閉まると遅れて来た人は入れません。

1 そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。天の御国を十人の娘にたとえています。私達はこの十人の娘達の中の一人です。

2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。十人のうち、五人は愚かで、五人は賢いですが、私達もこの二つの中で一つです。それでは、何が愚かで、何が賢いのかこれから明らかになります。

3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。

 愚かな娘たちと言われた理由は、ともしびは持っていたのに、油を持って来ていないことです。花婿が花嫁の家に到着したら、大勢の人数の人が夜の道を歩いて、花婿の家に行きます。そのために灯りが必要ですが、油が無いとどうしましょうか? 花婿が来ることは決まっていますが、何時に来るのかは分かりません。ブライズメイドの娘たちが油を準備することは当たり前のことなのに、それが出来ていないので、愚かです。花婿がいつ来るのかは知らないだけで、来ること自体は100%なのに、どうして油を準備してないでしょうか?

4 賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。賢い娘たちは当然でありながら、ともしびと一緒に入れ物に油を入れて持っていました。

5 花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。花婿が来るのが遅くなったので、娘たちは十人全員、眠くなり、ぐっすり寝ていました。寝ていたことで愚かな娘と賢い娘に分けているのではありません。目を覚ましていなさいは寝てはいけないことではありません。

6 ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。夜中になっていよいよ、花婿が到着しました。イエス様の再臨の瞬間にたとえられます。

7 そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。花婿の到着の声に、十人の娘たちは皆起きあがり、準備をしました。

8 愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』
愚かな娘たちは今になって油が足りないことで、隣の賢い娘たちに分けてくださいとお願いしました。油が足りないことはずっと分かっていました。今まで油を買える時間はたくさんありました。花婿が来ることも分かっていました。しかし、それに合わせて対応していませんでした。ですから、愚かな娘たちです。

 愚かな娘たちはイエス様を知らない方々の生き方です。イエス様を信じるチャンスがたくさんありましたが、最後まで拒み続ける方がいます。救われるチャンスもたくさんありましたが、その内と迷っている間に終わることです。イエス様が再臨してしまったら、もう手遅れです。悔い改めることは時間制限があります。

 愚かな娘たちが現代のクリスチャンであるなら、イエス様の再臨を知識では知っていますが、現在の私と関係ないと思っているクリスチャンです。今日の一日を充実に生きているばかり考えたので、未来は考えていません。

 今日の一日を充実に生きることは良いですが、しかし、イエス様と再会する準備すらできていない忙しさは困ります。

9 しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』

 「店に行って自分の分を買ってください」と返事しました。賢い娘たちは分けてくださいと言うお願いに断りました。私達からすれば優しくありません。皆と仲良く分け合う日本の文化と違います。

 しかし、これは優しさの問題ではありません。これは天の御国に行けるかどうかの救いの話です。救いはイエス様と自分一人だけの事です。例えば、自分以外にもう一人を余分に、天国に連れて行ける人はいません。イエス様の許可無しに、自分勝手にもう一人一番愛する人を天国に連れて行くことはできません。誰かが天の御国に入れるか、どうかを決められるのはイエス様だけです。私達は自分だけ、ただただ、イエス様の恵みよってやっと救われる者です。

10 そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。愚かな娘たちは花婿が到着してから、今になって、やっと油を買おうとして行ってしまいました。ここで油は何なのか、多くの先生方は聖霊様だと言っています。聖霊様を持っている人と持っていない人に分けることができます。イエス様を信じている人と信じていない人に分けることができます。

 ところが、十人の娘たちは皆、イエス様を待っていました。イエス様を知らない人はイエス様を待っていません。イエス様を待っていることはイエス様の再臨を知っている人です。私達クリスチャンは大体イエス様の再臨を知っています。しかし、再臨を準備している人と準備していない人に分かれると思います。

 イエス様の再臨を準備することは具体的には何でしょうか? イエス様の再臨を待っている人も、待っていない人も、皆同じく今日の一日を充実に生きています。イエス様を信じていても、信じていなくても、皆今日の一日を充実に生きています。

 ところが、イエス様の再臨を待っている人はいつでも、今日のすべてを主に手放せる心の準備ができています。今日の一日を充実に生きながら、同時に最後の瞬間を覚悟しています。今日と未来を同時に生きる生き方です。難しい事ではありますが、人間に与えられている特別な神秘的な時間です。この地上の生活は特別な時間であり、神秘的な時間です。

 体と霊が一つになっている神秘的な時間です。体は段々年を取って衰えていきます。段々年を取ることを経験しています。霊は段々主に近づいていきます。衰えと同時に主に近づく不思議な体験をしているところです。この地で一度だけ経験するので、神秘的な時間です。

 神秘的なことがもう一つあります。今日一日、現在だけを充実に生活しますが、同時に未来をシミュレーションしながら、未来を同時に生きるので、神秘的な時間を経験しています。現在と未来を同時に生きているので、神秘的です。神秘的な時間なのに、私たちは現在だけ幸せに暮らせば良いのに、心に不安があるので、未来を心配して、悩んで、未来のため蓄えようと奮闘しています。未来の不安が大きくなると現在の幸せが減ります。愚かな生き方になります。幸せなのに、幸せではない愚かな生き方になります。今日の幸せを十分味わえなくするのが、他ではなく自分自身です。

 イエス様が私達に神秘的な時間感覚をくださいました。現在の天国を生きながら、未来の天国を同時に生きる感覚です。英語ではalready、not yetの時間です。神の国はすでに始まりましたが、神の国はまだ完成していません。私たちはすでに神の国を生きながら、同時に未来の神の国を待っています。賢いクリスチャンは現在と未来を同時に生きる感覚が必要です。 二つの中で一つだけの感覚で生きることは愚かな生き方になります。例えば、現在だけ生きて、イエス様の再臨は備えていない生き方だと愚かになります。反対に現在は完全に無視して、イエス様の再臨ばかり待っていることも愚かです。現在を生きながら、未来のイエス様の再臨を待っている生き方は神秘的な体験です。この地上に一度しかない不思議な体験です。私達にはこの不思議な体験がこれからどのくらい続くのでしょうか?