<エステルと祈り> エステル記4:13~17 2026年9月20日

 エステルの祈りにはエステルが生きていた時代の背景があり、彼女の独特な人生の物語があります。彼女の祈りの特徴は死を覚悟した断食の祈りです。彼女の民族全員が絶滅される日が決まっている中、渾身の力を絞って生きる道を求めた祈りです。

1.波乱万丈のエステル

 エステルの人生を一言でいると波乱万丈の人生です。波乱万丈の意味は劇的な変化や事件が次々と起こり、起伏や曲折が極めて大きい様子を現す四字熟語です。主に人の人生模様や物語の展開に対して用いられます。聖書には波乱万丈の人生を生きた人が多いと思いますが、エステルもその一人です。

 1)波乱万丈の家系から生まれる

 2:5を見ますと彼女と親戚のモルデカイの先祖にサウル王がいます。サウル王の家系は波乱万丈です。イスラエルの最初の王の家系である栄光もあれば、同時に神に捨てられた家系である恥もあります。

 2)国が無くなって、外国で成長

 2:6を参考にすると彼女は国が滅びる時期に生まれ、捕虜になったのか、あるいは、異邦人の国で生まれた可能性もあります。とにかく、彼女が大人になったとき、彼女の国は既に地上には存在しません。国が無いということはすべてを失ったことを意味します。

 3)親がいなくて、親戚によって育てられた

 2:7を見ると彼女のお父さんがいなかったので、彼女は親戚のモルデカイの家で暮らしていました。モルデカイが実の娘のように育ててくれたので、それだけは幸いなことでした。

 4)波乱万丈の若くない王と結婚

 彼女は異邦人の王と結婚することになりました。彼女が積極に求めたことではなくて、親戚のモルデカイの提案に従いました。この世の中で王様ほど変化に富んだ人はいないと思います。異邦人の王様の波乱万丈の生涯が彼女の生涯になりました。それにしても、王様だから波乱万丈の生涯はここで終えてハッピーアンドになれば良いですが、波乱万丈の生涯は続きました。

 私たちの生涯には本当にありてあらゆることが起こります。その中で自分の過ちではなくて、他人の過ちや選択のせいで私の人生が波乱万丈になると悔しいです。そのような環境になると自然に悔しさと嘆きの祈りが多くなります。エステルが暮らしていた時代の人々は全てを失った嘆きの祈りばかりでした。

2.本人の選択が招いた結果としての波乱万丈

 私たちの生涯はどこの家庭で生まれるかに大きな影響を受けます。しかし、だからといってそれが私たちの人生を決定してしまうのではありません。私の人生を決めてしまうのは現在の私の選択です。誰かに責任を取りなさいということが出来ません。エステルの人生の中、前半が波乱万丈になったのは彼女の責任ではありません。しかし、その後からは彼女の選択によって波乱万丈の人生が続きました。

 4章でエステルは生涯に置いて最も大事な信仰の選択をすることになりました。彼女を娘のように育ててくれたモルデカイが大きな危機に直面しました。ユダヤ民族全体が一日で滅びる大危機に直面しました。エステルは悩みました。モルデカイとユダ民族を助けるために命をかけて、王に会うべきなのか? 王の許可なしに王に近づいたら命を失う覚悟が必要です。

 反対に彼女だけ生き残るために知らん振りするべきなのか? しかし、信仰の良心がそれを許しません。彼女を本当の娘のように育ててくれたので、そして、神の祝福が彼女だけのものではないのに。彼女は悩みました。

 エステルはこの瞬間、命を失う覚悟で偉大なる信仰の選択をしました。この信仰の選択をすると波乱万丈の生涯が続くかも知れません。極端の選択はしたくありませんが、しかし、厳しい選択をしないといけない瞬間が信仰者にあります。その瞬間、彼女の場合、信仰の選択をしました。

 極めて極端な信仰の選択はしたくありませんが、聖書の神を認めない社会に暮らしているクリスチャンには仕方なくて、極端な選択をせざるを得ない時があります。信仰の選択をするか、妥協するか、どうしても避けられない時があります。厳しい環境でクリスチャンが出来る方法は祈りしかありません。このときの祈りは単純です。「神様、助けて下さい!」

 私たちの信仰の判断がいつも正しい訳ではありません。間違った判断をしてしまうときもあります。過ちによる判断ミスの時も祈りの内容は同じです。「神様、私の愚かな選択が招いたこの試練から助けてください。これからは正しく生きますので今回は助けてください」

3.波乱万丈を祝福に替えた祈り

 エステルの波乱万丈の人生になった理由が他人のせいであれ、本人の選択による結果であれ、大事なのは波乱万丈の人生を神の祝福に替えることが大事だと思います。聖書には運命を替えた人々の祈りが多いです。エステルのように命をかけた断食の祈りもあります。生まれつきの運命を変えたヤベツの祈りもあります。パウロのような特別な癒しのための真剣に三回祈ることもあります。

 エステル時代のユダヤ人は、聖書の神はもう死んだ、いないんだと思っていました。聖書の神はイスラエルの国と共に既に滅びた神だと認識しました。その時代に生きていたエステルの使命は聖書の神がまだ、生きておられ、今もユダヤ民族を助けてくださることを証明することでした。

 その意味で私たちも同じです。聖書の神はいないと認識されるところに住んでいます。私たちの使命は生涯を通して聖書の神が私たちと共におられ、偉大なる創造主であることを証明することです。私たちは神の奇跡、神のみわざを経験したいです。それを未信者の人々に見せたいです。

4.信仰による真の親子

 今日はエステルを中心にメッセージをしました。ところで、エステル記の本当の主人公はエステルではなく、モルデカイです。エステル記はモルデカイの物語です。エステルが波乱万丈の人生なので、モルデカイもそれ以上に波乱万丈の人生でした。お二人は真の親子のような関係です。そして、互いに命をかけて神を信じた信仰による親子関係です。親子がここまで神を愛し、神に徹底して従うことは素晴らしいことです。モルデカイの素晴らしい祈りの物語があって、次の世代のエステルが引き続き素晴らしい物語があります。とてもうらやましい信仰による親子です。