<人の罪の始まり> 創世記3:1~6 2026年8月9日

 罪の始まりと人の罪の始まりは違います。罪の始まりは天使長のルシファーがサタンになったのが罪の始まりです。人の罪の始まりは創世記3章です。聖書は創世記で人の創造から始まって、黙示録で人の救いの完成で終わります。天使の創造、天使の堕落は聖書の主な関心事ではありません。ですから、罪の始まりと言うと一般的には人の罪の始まりを意味します。

創世記3章をみて私達に二つの疑問があります。

1なぜ、神は善悪の知識の木を創造したのか。なぜ、誘惑するサタンは存在するのか。なぜ、アダムは神から離れたのか。なぜ、サタンはアダムに誘惑できたのか。

2弱いアダム、エバにこんなに耐えられない試練を与えて良いのか。狡猾な蛇にやられるくらい弱い者なのに、弱いアダムとエバにこんな厳しい試練を許可した神が悪いのではないか。

1.神のように善悪を知る者となる
蛇の誘惑の中心は5節です。

「神のように善悪を知る者となる」

アダムとエバは神のかたちによって造られたもの、神とそっくりのものです。そっくりですが、しかし、神ではありません。蛇の誘惑は「あなたが神になりなさいです」。アダムは神の代わりに地を治めていたので、それ自体が神のようなものです。神のように生きる事と神になることは違います。

 人間がいくら優れたものであっても結局は神によって造られたものに過ぎません。神ではなくて、神によって造られたものです。神の権威から離れてはいけない存在です。神に似ていて、すべての自由があって、何でも勝手にしても良いですが、最後の一つだけは守らなければなりません。それは神によって造られたことを認めること、認識することです。

 神はアダムをお造りになった創造者、アダムは造られた被造物であることを否定する瞬間、関係は終わりです。神から離れたのが人間の罪の始まりです。人の罪はすべて神から離れた結果、起こる問題です。嘘をつく、物を盗む、物を奪う、人の命を奪う、喧嘩する、誰かを憎む。これらのことを罪だと言います。しかし、なぜ、嘘をついて、物を盗んで、物を奪って、人の命を奪って、喧嘩をする、誰かを憎むのでしょうか? イエス様から離れているので、これらの現象が起こります。

 嘘をつく理由はイエス様のお守りが期待できないで(離れたので)、自分で自己弁護すると嘘をつくようになります。物を盗む理由はイエス様の満たしを期待できないので(離れたので)、自分で満たすしかないから、盗んでも自分の物にしたくなるのが盗みです。喧嘩する理由はイエス様からの愛が無いので(離れているので)、イエス様の愛が心から消えると心には憎しみしか残らないので、自然に喧嘩することになります。

 イエス様から離れていなければ、これらの現象が起こりません。イエス様から離れていない時はこれらのことをしません。イエス様から離れていない時の意味は聖書を読んで、祈って、心にイエス様の愛で満たされている時、その時はこれらの事をしません。このようにエデンの園で、創造者神と被造物のアダムの関係を維持させているのが善悪の知識の木の実です。

 人々の関係を維持させているものがあります。神とアダムの関係を維持させているものは善悪の知識の実です。親子関係を維持させているものは何でしょうか? 友達関係を維持させているものは何でしょうか? 信徒の皆様と牧師の関係を維持させているものは何でしょうか? 夫婦関係を維持させているものは何でしょうか? 維持させている者は大体一つくらいです。維持させているものは人それぞれ違います。しかし、維持させているものが切れると関係が切れてしまって、修復はほぼ不可能です。

2.神のみことばを疑わせるサタンとみことばを変えたエバ

 次はアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べた理由のことです。アダムとエバは弱くて、賢くなかったので、騙されたという仮説

その答えを求めて、創世記2章の神の命令と3章の蛇とエバの会話を見ましょう。

創世記2:16―17

「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。無制限の自由

しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。一つだけの制限

それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

創世記3:2―3

返事1「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな」

エバの返事1は正しいです。正確に知っています。しかし、その後の返事は神の命令とエバの返事にずれがあります。

返事2 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
「触れるな」を追加しました。「死ぬ」が「死んではいけないから」に変わりました。

 3節で神のみことばを自分勝手に変えました。みことばを変えたのは蛇ではなくて、エバ自身です。エバの知恵が足りないので、神の命令がはっきり分からなかったので、知らなかったので罪を犯したことではありません。エバもサタンと同じくらいの賢い知恵をもっていました。

 2節の「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが」を見ると彼女は神のみことばを明確に分かっていました。

 園の木の実を何でも全部食べても良い、しかし一つだけは食べてはならない。ちゃんと神のみことばの意味を分かって二つを区別していました。

 しかし、3節を見ると神の命令に、彼女自身の強い思いを混ぜています。エバが、知恵がなくてサタンに騙されたと言い訳してはいけません。サタンは確かにエバを騙しています。しかし、エバの心の中にも実は強い執着がありました。それをサタンが利用しました。エバも蛇以上の知恵と判断力がありました。蛇は狡猾の知恵をもっていました。しかし、エバもそれにまさる知恵を持っていました。人が蛇を治めていましたから。

 エバはサタンに本当に騙されたのでしょうか? 騙されたよりは惑わされた言った方が良いです。エバ自身の強い執着があって、それが神のみことばを勝手に変え、彼女自らを騙したと思います。エバは神のみことばを正確に知っていましたが、しかし、強い執着がありました。それが神のみことばを変えました。神のみことばを少しずつ心の中で変えて行きました。

 強い執着が彼女自身を騙し、自ら騙されました。エバの心に強い執着がなかったら、サタンに簡単に騙される無能なものではありません。しかし、心の強い欲望に少しずつ、自分自身を騙していくと真っ赤なウソでも簡単に騙されるようになります。ある日突然の強い執着、欲望、執念、ビジョンなどが私たちの視野を妨げ、自ら騙され、神のみことばから離れることになります。

 ヤコブ1:15「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」

エバの欲がだんだん強くなって、勝手に神のみことばを変え、善悪の知識の実をさわりはじめ、神のようになるのはどんなことかなと罪を生み出し、そして、その果物を取って食べました。そして、彼女は死にました。肉体はしばらく生きていましたが、神との関係が切れました。

 アダムはエバがやっていたことを見ていて、エバの誘いに応じただけなので罪が軽いのではありません。アダムがこれらのことをあまり知らなかったと思ってはいけません。実はアダムこそ、もっと悪いです。アダムはエバ以上にやってみたかったのです。彼自身がやりたいことを、エバを通してやりました。

 アダムとエバは神になってみたいなと思った瞬間、神のみことばを思い出して従わなければなりませんでした。しかし、彼女は残念なことに最後まで行ってしまいました。

 イエス様にも同じ誘惑がありました。あなたが神であるなら証明しなさい。石をパンにしなさい。地面に落ちてみなさい。十字架から降りてみなさい。この盃を私から取り除いてください。しかし、イエス様は最後まで神のみことばに従いました。 自分自身が自分自身を騙す、自分自身が自分自身に騙されることがあります。それを防ぐためには誰と相談しなければなりませんが、自分自身が神になっているので、誰とも相談したくないです。独断で行動し、自ら騙されます。頑固になるとこの過ちを犯しやすいです。年を取っていけばこうなりやすいですが、どうなさいますか? 神から離れて、私たちは神から頂いた知恵を、悪を行うところに使っています。イエス様を信じている今は、神に倣って善を行うところに使いましょうか。