人間は何者なのか、AI時代だからこそ、もっと真剣に問われる課題です。人間の仕事がAIに奪われる今の時代、私達の存在価値はどこにあるのでしょうか? 未来はますます私の事を大事してくれない時代となります。歳を取ると私の事を大事にしてくれない時間になります。しかし、それでも、私達一人一人は大事です。なぜなら、聖書によりますと私達一人一人は神のかたちによって造られたからです。一人一人が神のかたちによって造られたので、世界に一人しかいない大事な者です。歴史の中でも一人しかいなかった大事な存在です。時代が厳しくなると一人の価値、一人の存在が無視されやすくなりますが、私たちは聖書のみことばを信じて、一人一人を大切にしたいです。人間の尊厳、人間の価値を一番高く評価しているのが聖書です。聖書が言っている人間は何でしょうか? 人間を造られたお方からその答えを探しましょう。神からの答えを頂きますと私の存在理由が分かります。
1.造られた理由
26節を参考にしてみると、地のすべてのものを支配するものとなるためです。地のすべてのものを治めるのが人間の仕事です。治める仕事が意味していることは王様の仕事です。地上の一番優れた者、王様として造られました。神は天におられる王であって、人間は地上にいる王です。
人間がこの地を支配するので、人間以上に優れた被造物はいません。人間の上に他の被造物があってはいけません。それは秩序を壊すことになります。地を治める王様の上に他の被造物があってはいけません。偶像崇拝をしてはいけません。もともと、人間より優れた被造物がいないのに、人間が神の知恵を使って、色々のかたちを作って、それを拝むことは創造の秩序を壊すことになります。人間が治めなければならないのに、人間自ら、自分の上に、自ら作ったものを置くことは自ら創造の秩序を壊すことです。
2.神のかたちの意味
26節「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」
27節「神は人をご自身のかたちとして創造された、神のかたちとして人を創造し」
「神のかたちって」何でしょうか? 神学者たちのいろいろの説がありますが、その中、三つくらい申し上げますと、
1)神の知恵
27節は創造、創造、創造と三回「創造」ということばを強調しています。人間は何から進化したのではなくて、最初から非常に優れたものとして創造されました。神は天地万物を造られました。そして、人間を造り、その名を「アダム」ど名付けました。アダムの意味は「土」で、普通名詞です。それが固有名詞の人の名前となりました。
そのアダムは神の知恵を持っていました。その子孫である私たちもいろいろの物を造れます。女性を女と名付け、愛を告白するため、詩を作詞しました。「私の骨からの骨、私の肉からの肉」
楽器を作りました。罪を犯した後は武器も作るようになりました。アダムが持っていた能力に比べると私たちはまだまだです。ユダヤ人の伝説を基づいて申し上げるとアダムは多分今のAIくらいの能力を持っていたでしょう。
人間には創造者を真似する能力があります。皆様も神からの能力を持っています。まだ、ほとんど使っていない状態です。人間の能力はまだまだ成長するはずです。
2)霊的な者
天使と人間が霊的な存在です。霊的なものなので、永遠になくならないものです。死んだら終わりではありません。霊はなくなるものではありません。永遠になくならないものなので、私たちの歩んできた足跡が残ります。毎日何かを残し、永遠に残ります。罪の足跡を残すと責任が残ります。良きことをすると賞が残ります。過ぎ去ったことは仕方ありませんが、創造主に責任問われる時間が来ます。
3)自由意志
人間は神が言われた通りにしか動かないロボットではありません。個人の自由があって自己判断できるものです。尊重されるべき個人の自由、人格の尊厳があります。国さえ勝手にしてはいけない個人の権利があります。その自由は神を離れられる可能性さえある自由です。
しかし、神を離れてはいけません。神からいのちがくるので、神から離れたら死ぬことになります。神から離れることは禁止されていましたが、離れられる道は開かれていました。それが善悪の知識の木の実です。
4)「神ににている」の意味:神に依存するもの
いくら優れてはいるものの、造られているものであることは変わりありません。人間は神にそっくりのものです。しかし、神ではありません。神であるかのようなふりをしてはいけません。一人で何でもできると思ってはいけません。造られているものなので、神に依存するようになっています。神を離れたら、本当に自由になるのではなくて、別のものに依存してしまいます。人間は誰でも、誰かに、どこかに依存しています。家族に、友達に、お金に、名もない神々に、自分自身に依存しています。
依存する理由はもともと人間が神に依存して生きるように造られているからです。私たちは神によって造られた弱い者であることを信じれば非常に謙遜になります。神のみ前で謙遜になることは人生を豊かにします。
3.神との関係
人間は神から言われたとおりにしか動かないロボットではありません。全く自由がない奴隷でもありません。自分の意思を持っていろいろのことができる無限と言っても良いくらいの自由が与えられました。
制限されたのはだった一つだけです。自由、独創性を持って神と親しく話し合えるものとして造られました。友達ではありませんが、友達のような親しみがあります。聖書では神と人間の親しみの関係をいろいろの例えを使って説明しています。親子、羊飼いと羊、ブドウ園と農夫、王様と民、夫婦、友人
神と親しい関係なので、罪を犯してはいけません。神は罪あるものと交わりしないからです。
4.食糧をくださる
全地にあるすべてのものを与えてくださいました。最初は野菜と果物です。野菜だけを食べるベジテーリアンを要求したのではありません。創世記1章では食べ物が全地に満ち溢れていたので、野菜と果物だけでも十分でした。しかし、罪の後は食べ物が非常に少なくなったので、動物や他のものも食べられるように与えてくだいました。
基本的にはこの地にあるすべてのものは食べられます。健康のため慎むことはありますが、禁止しているものはありません。断食は自由意志で霊的な健康のために行うことです。食べ物以外にもいろいろの必要なものを人間に与えてくださいました。一番基本的な食べ物を与えてくださった神がそれ以外も与えてくださいます。
神は人間を造られる前に、事前準備として創世記1章のあらゆるものを造られました。神の栄光のために天地万物は造られたと言うのが一番正しいですが、被造物の中心である人間の暮らしのために造られました。なぜなら、人間こそがその中で暮らしながら、神が造られた物に感動しながら、神を賛美し、栄光を表すものだからです。天地万物が神の栄光を表しますが、その中で何よりも人間が神の栄光を表します。その理由で神はすべての創造が終わってから、31節こう宣言されました。
「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」 他の被造物の時にはただ「良しとみられた」でした。しかし、創造のクライマックスの人間が創造され、人間がその中で暮らして、創造の働きが終わった時には、「非常に良かった」と言われるくらい良かったのです。
