私達はポジティブに考える人でしょうか、ネガティブに考える人でしょうか? 私たちがポジティブに考えれば人生の重荷は無くなりますか? ネガティブに考えるよりはポジティブに考えた方が確か良いです。しかし、それがすべてではありません。私達信仰者にはそれより大事なもう一つがあります。
1.パウロの弱さ
パウロにはどうにもならない弱点がありました。イエス様を信じる前に教会を迫害したことです。教会を迫害した過去があるから、コリント教会の間違いを指摘しても、信徒たちが素直に受け入れてくれませんでした。教会を迫害した過去があるので、使徒としての権威がありません。
使徒としての権威が弱いので、何とかしてコリント信徒たちに聞いてもらうために天国を見た幻の証しまでしました。コリント教会の信徒たちが天使とか、霊的な事とか、幻に関心が高いので、有益ではないと思いながら、天国を見て来た証しをしました。1-4節はパウロが見た幻です。パウロが見た幻は素晴らしいことですが、パウロにとっては無益なものでした。いくら天国の幻を見たとしても、信徒たちがパウロの権威を認めてくれるのではありません。逆にパウロはこの幻のせいで、治らない病を抱えるようになりました。
教会を迫害したことが弱点になりました。神が見せてくださった幻の故に病になりました。そして、その病はいくら祈っても治らない病となりました。弱さ、弱さ、弱さがずっと続きました。パウロのこの弱さはどうすれば乗り越えられますか? 私達がパウロであるならこれらの弱さをどうすれば良いでしょうか?
2.考えの転換
パウロが抱えていた悩みを現代に相談すると考えを変えてくださいと言うでしょう。考えを変えると人生が変わると現代は言っています。ネガティブな考えを捨てて、ポジティブな考えに変えますと悩みが減りますとか。ポジティブに考えると体も心も元気になるので、病も癒されますとか。人々はネガティブな人よりはポジティブな人が好きなので、ポジティブな人になると人間関係も変わりますとか。
しかし、パウロが抱えている人生の課題はネガティブとか、ポジティブとかの問題ではありません。パウロがいくらポジティブに考えても、教会を迫害した過去の記憶は消えません。いくら積極に考えても、病からくる痛みは柔らかくなりません。病の痛みはネガティブでも、ポジティブでも関係ありません。痛いのは痛いです。パウロの病は結局、治りませんでした。ですから、パウロは真剣に、真心を込めて3回も祈り続けました。いくらポジティブに考えても、ポジティブに祈っても何も変わっていません。
考えが変わる、生活の態度が変われば人生が変わると教えることがあります。私達も子育てする時、よく言っていたことです。ある程度は変わるでしょう。ある程度は効果があると思います。しかし、パウロが抱えていたような人生の根本的なところには通用しません。
3.信仰による転換
パウロがいろいろの人生の悩みから解放されたのは神からのみ言葉でした。正確にはみことばを通してパウロの人生の課題を正しく解釈してくださいました。パウロが高慢にならないように痛みがあります。教会を迫害した弱点があるからこそ、彼はいつも教会の中、謙遜です。体の痛みがあるので、ずっと謙遜を保つことができます。遜になる事だけでなく、神のあわれみを頂く通路が肉体の痛みでした。教会を迫害したことが神のあわれみを頂く通路だと彼は悟りました。体の病が神の恵みを頂く通路だと悟りました。パウロは病が癒されると神の恵みの通路が閉ざされることになります。9節はパウロの悟りです。信仰によって彼は考えが変わりました。信仰が彼の価値観を変えました。
教会を迫害した過去は辛い過去ではありますが、いつも彼を謙遜にするものです。病に対する姿勢も変わりました。病があるから彼は高慢になりません。病があるから彼はキリストの力に満たされます。極端に言えば病が治るとキリストからの力も無くなります。キリストの力に満たされるために彼はこれからも病を抱えた方が良いです。
9節「しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」
9節の変化は彼の考えがポジティブに変わったからではありません。主が彼に正しく、真実を教えてくださって、彼はそれを受け入れたからです。信仰が彼の考えを変え、人生を変え、価値観を、未来を変えました。
4.私たちの弱さ
パウロのケースを私達にもそのまま入れ替えてみましょうか。私達が持っている弱さには何がありますか。
(1)肉体的な弱さがありますか。
生まれつきのような体の弱さがあります。年と共に体が弱くなって病が一つずつ増えます。治る病もありますが、慢性になるものもあります。
(2)心の弱さがありますか。
心の弱さと言うと代表的なものは心の病気です。心の病気も体の病気のように種類も数えきれないほど、たくさんあります。心の病気だけでなく、心の弱さは範囲が広いです。ストレスに弱い、本番に弱い、緊張に弱い、競争に弱くなる、心配症など、これらの心の弱さは病気ではありませんが、私達皆が持っています。
(3)人との間の悩みがありますか。
家族、友達、仕事の同僚、教会員、近所の人、未信者の人など、いろいろの人と関係の中、複雑に絡んでいます。これらの人達との関係において、できる限り頭痛い問題に関わりたくないですが、関わらざるを得ないのが現状です。関わらざるを得ないので、関わりますが、関わってしまうと私自身の悩みになってしまいます。これ以外にもパウロが言っているように、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難などがあるでしょう。皆様はこれらの三つの主な弱さの中でどちらに入りますか? 或いは、どちらのものが良いでしょうか?
体は弱くても、精神的には大丈夫な人生が良いのか。体は元気ですが、精神的に弱い人生が良いのか。体も健康だし、精神的にも元気ですが、イエス様は信じない人生が良いのか。これらの三つの中で一つだけ選びなさいと言われたら、皆様はどちらを選びますか? 残酷な質問をさせて頂きまして、申し訳ございません。
(4)個人的には
肉体的な弱さ、牧師である弱さ、外国人である弱さ、ネガティブに考えないで、ポジティブに考えようとしています。しかし、ポジティブに考えたら、自分の現状は変わりますか? ポジティブに考えれば、現状を変えられますか? ポジティブに考えても、ネガティブに考えても、私たちの状況は何も変わりません。信仰によって主が私たちの人生に関する根本的な答えが必要です。私の人生に関する根本的な答えを主から頂きますと私たちは納得して、人生の重荷を背負って元気に、黙々と歩むことができます。
