私達一人一人にはライフストーリー(人生の物語)があります。いつ生まれて、どこで成長して、親は誰なのか、兄弟は誰なのか、学校はどこなのか。キリスト者であるなら、いつ洗礼を受けて、教会はどこなのかなどです。一人がこれまで歩んできた道のり、心に残っている瞬間、あるいはこれからやりたい未来の展望などです。
個人のライフストーリがあれば、民族の共同ライフストーリもあります。今日のみことばのイスラエル民族は皆が同じライフストーリを持っています。何百万の人は同じ記憶を持っています。エジプトの奴隷だった辛い記憶があります。神の全能の御手による救いの記憶もあります。40年間、荒野をさまよった記憶もあります。申命記5章の人たちは60歳以下がほとんどです。エジプトから解放された人々の大多数は神を信じなかったことで、すでに荒野で埋葬されました。彼らはエジプトの奴隷の時は覚えたくありません。むしろ早く、忘れたいです。しかし、神は覚えなさいと命じられました。覚えたくないのに、どうして神は覚えさせようとしておられるのでしょうか?
旧約聖書にはエジプトで奴隷だったことを覚えなさい、エジプトから救い出した神を覚えなさいが多いです。神が覚えさせている理由を見ると、エジプトから救い出した神を覚え、いつまでも感謝する生活のために。神から離れてカナンの偶像崇拝に陥ることがないように。現在の祝福は自分たちの能力や努力で得たものではなく、神からのプレゼントであることを立証するため。イスラエル民が傲慢にならないように。隣人の中、不幸にあった同族を見捨てることなく、互いに支え合う生き方を求めるために。
安息日を守らせるために(申命記5章15節)
一つ一つに全部正しい理由があります。しかし、いくらこれらのことが理由だとしても、辛い過去を記憶することは良いでしょうかと言う疑問が残ります。
そのことで、神はなぜ、過去を覚えさせるのか考えてみました。例えば、過ぎ去った過去を感謝できることには何があるでしょうか? 未来、人生成功しているのであるなら、辛い過去でさえ感謝です。自分の持ち家があり、収入が多くて、愛する家族がいて、自由があり、幸せに満ちているのであるなら、辛い過去もこれ以上痛くありません。現在が幸せに満ちているのであるなら、辛い過去でさえ意味ある想い出です。現在が幸せに満ちているのであるなら、大変な過去も感謝できるでしょう。
しかし、反対に現在、何もないのであるなら、辛い過去はもっと辛く感じます。現在何も無いのに、辛い過去を覚えなさいという戒めは単なる嫌がらせです。カナン地で大変な苦労をしているのに、過去のエジプトを覚えなさいと戒められると腹が立つでしょう。
神はこれから間もなくイスラエル民一人一人に祝福をくださいます。イスラエル民にカナン地をくださいます。満ち溢れる収穫をくださいます。土地をくださり、財産をくださいます。自由に喜ぶ幸せをくだいます。愛する家族や友達と楽しく過ごせる時間をくださる前提に基づいた命令です。現在の祝福が神からの祝福であることを覚えるように。現在の祝福が無くならないように、傲慢にならないように、偶像崇拝しないように、隣人を顧みるように、主の安息の時間を楽しく過ごしなさいと言う意味で過去を覚えなさいと命じられました。
その側面で考えると私達も同じことを言えると思います。私達も現在に満足しているのであるなら、辛かった過去でさえ、痛みを感じません。しかし、現在が不満に満ちている人にとって過去の記憶は現在まで続く痛みです。申命記5章のイスラエル民はもう間もなく、カナン地に入って神からの大いなる祝福にあずかります。奴隷だった辛い過去を忘れるくらい満たされ、祝福され、満足します。祝福されたら傲慢になり、自由をあげたら怠けるようになり、貧しい隣人を虐げるようになり、偶像で神を捨てるようになるので、神は予め現在のあなたがたをエジプトから導き出したことを覚えなければならないと命じられました。
主なる神はご自身が生きておられることをエジプトで、カナンで、証明しました。エジプトからイスラエルを救い出すことで証明しました。エジプトの全国民の前で証明しました。そして、今度はカナン地に導くことで証明しました。カナンの住民が見ている中、イスラエルの神は生きておられると主ご自身が証明しました。
今度はイスラエルの民が証明しないといけない時間です。お金を信じているのではなく、神だけを信じていることを。偶像を信じているのではなく、神だけを信じていることを。主なる神だけが唯一の神であることをイスラエル民は主の前で証明しないといけません。彼らが主だけを信じるためには過去の記憶が必要です。
私達も同じではありませんか? 主は私達に主が生きておられることを証明してくださいました。過去から今まで何回も証明してくださいました。私達にすべてをくださいました。今度は私達が主だけを愛していることを証明しないといけません。私達がこれからも主だけを信じて、主だけを愛していることを証明するために過去の記憶が必要です。過去の記憶が信仰の底力となります。
過去の証しが現在の信仰を支えています。 私達のライフストーリの最後はどうなるのでしょうか? これから私達は何に向かって生きるのでしょうか? イスラエル民を救い出し、導いて下さいました神が私達も導いてくださいます。罪の中、奴隷のような者を救い出してくださった主が私達を天国へ導いてくださいます。私達は皆、天国に行けばこの地上の時間はすべて良き想い出になるでしょう。私達は未来の天国を楽しみにしながら、現在の時間を黙々と生きましょう。
