今日の聖句はTBCの中心聖句です。ある人は表面が滑らかな、綺麗な器を作りたいので、穴をあけるのが嫌です。見た目を気にして、何の凸凹もなく、表面を綺麗にしたい人もいるでしょう。蓋を被らせて、上を覆って、表面全体が滑らかな、綺麗な器が完成します。しかし、隙間が無いように、完全に塞いだので、光がまったく通れません。いくら輝く光が中で輝いても、外を照らすことは出来ません。
土の器を見ながら私達の人生もこれに似ているのかなと思いました。私達の体は神の御手によって造られた素晴らしい作品です。しかし、材料は土で造られた弱いものです。土で造られたせいなのか、いろいろの弱さがたくさんあります。罪の後は体だけでなく、心も弱いです。正確に言えば、土で造られているので、弱いのではなくて、罪があるので、弱いです。私たちは皆、一人一人、相当なコンプレックスを持っていて、人々には言いません。
私達の周辺には心の弱さがあり、弱さもいろいろあります。実際、病気になっているものもあれば、病気直前のものもあります。一つ以上のコンプレックスは皆持っています。落ち着きが無く、過ちが多く、失敗が多いです。
私達はこれらの弱さを改善するために頑張っています。神経質になって運動したり、食べ物に拘りがあったり。顔や身体の見た目が気に入らない方は整形手術を何回も受けます。
土の器で例えると器に穴がないように、傷が無いように、表面にデコボコがないように。表面が滑らかになるように神経を使います。私達の生活で例えると試練がないように、苦しみが無いように、痛みも無いように、悲しみも無いように、失敗が無いように、コンプレックスが無くなるように頑張ります。
しかし、このような生き方をすると私達の中から、光が出て来なくなります。私達の中にイエス様のいのちの光があります。もっと大きな穴をあけるとイエス様の光はもっと照り輝きます。私の人生にいろいろできないことが多いことは隙間のひびが多いことです。今まではそのひびのようなものを防ごうと頑張りました。人生の傷を人々に見せないように隠していました。しかし、隠しますと私の中からイエス様の光が出て来なくなります。
ある人はイエス様の光ではなく、自分自らの光を出そうとしています。頑張り屋、笑顔、積極な生き方、自分の努力で、自分の能力を発揮して、自分で、自分で、輝かせようと。中から出てくるイエス様の光ではなく、自分の光です。現在、私達を元気に動かしている原動力は何でしょうか? 自分自身でしょうか、中にいるイエス様でしょうか?
今日の教えから大事なことを学びたいです。私の中からイエス様の光を噴出させるのは、私の人生のもっと大きな穴です。私のコンプレックスからイエス様の光が輝きます。私の駄目なところが大きくなることで、光はもっと輝きます。生活の中、何の試練も無く、苦しみも無く、悲しみも無く、見た目だけ幸せに見える演技をするとイエス様の光は私の中から出て来なくなります。
これが真実であるなら、主なる神はもしかして、私たちの中からイエス様の光が噴出しやすくするために、私の傷を承認されたかもしれません。穴をあけて、ひびを作って、見た目はひどくて、大事にしたいところがない姿になっていることも神のご計画があるようです。
確か、見た目がひどいので、自分の人生を否定して、直ぐ諦めて、人生そのものを諦めたいくらいですが、その穴からイエス様のいのちの光が見えます。傷も見えますが、光が強烈なので、傷は気になりません。イエス様の光が私の中から出てくるのが見えるとこれ以上、体が弱いことも、心が弱いことも、人生がでこぼこであることも、そこまで気になりません。何でもOKです。イエス様のいのちの光が私に新しく生きる元気になるからです。生きる理由となるので、何でもOKです。
パウロが経験した証しを聞くと励みになります。
コリント人への手紙第二12:7―10
7その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
私達は自分ができること、上手なところに関心があります。できないところ、嫌なところは隠そうとしています。しかし、これからはできないところ、駄目なところ、嫌なところ、隠したいところを注目して、黙想してみましょう。そこから主の光が見えます。私のコンプレックスから主の光が見えたら、これ以上、コンプレックスではありません。
