基督教の経典を日本では「聖書」と呼びます。中国は「聖経」と呼びます。韓国では二つを合わせて「聖経全書」、省略して「聖経」と呼びます。日本の教会が聖経と呼ばないで聖書と呼んだのは仏教の経典を聖経と呼んでいたので、それと区別するために聖書と呼んだのではないかと言う説があります。聖書とか聖経の呼び方以外に、基督教の経典の独特な名前は、「旧約」と「新約」です。約束の約、契約の約です。この名前は基督教信仰の一面を明らかにするものです。古典としての経典ではなくて、契約書としての経典です。新旧約の聖書が私達に意味ある理由はそれが、昔の古典ではなくて、神と現在の私を結ぶ契約書だからです。ですから、私達は新旧約の聖書を読むとき、私への呼びかけとして読んでいるわけです。
今日のみことばに出てくるヨシュアは神のみことばに全てをかけた人です。ある意味ではみことばに全てをかけざるを得ない、他の選択肢はない人でした。彼は神の約束を信じて、ことごとく従いました。今日はなぜ、彼がみことばに全てをかけたのかを見たいと思います。
1.忙しい日々
ヨシュアの一日は24時間でも足りないくらい忙しい日々でした。彼の仕事は朝早く始まりました。起きあがるとマナを集める作業を眺めました。12部族の代表から毎朝、報告を受けました。その日の一日のことを指示しました。民の間でおきたトラブルに関して裁判をしました。神の律法を民に教えました。カナン地を征服する戦略など一刻も休める暇がない日々を過ごしていました。
ある日は起きたくない日もあったかも知りません。疲れているからでもなく、眠いからでもありません。起きあがるのが恐いからです。「今日もまた、頭痛くて、難しい事を持ってくるのか」それが恐いです。私達はヨシュアの気持ち、分かります。「よし、今日も元気に仕事に行こう」と言う日もありますが、「ためいきで今日も仕事か、会議の準備どうしよう」と嘆く日もあります。
ヨシュアは朝起きますと人々が色んな事を報告しました。その場で何か適切な指示をしないといけません。大勢の人々が彼を待っています。彼が指示しないと何も始まりません。十分に時間を取ってじっくり考えられる暇もありません。その場、その場で結論を決めないといけません。ですから彼は一時もみことばを手放せない生活でした。一日中、神の知恵を求めないといけません。判断を間違ってしまうとイスラエルの民が被害を受けます。全てが彼の責任になります。ですから彼は毎日、みことばを読んで知恵を求めました。みことばを読まないで勝手に思いついたことを決めると全部が間違いばかりです。ですから忙しくても、みことばを読んで、その知恵で全ての事を決める生活でした。
私達はヨシュアほどではありませんが、毎日忙しい日々を過ごしています。朝から夜まで仕事に夢中になって、生活しています。熱心に、忙しく生きることは良いことですが、みことばと共に生きたいです。みことばがないまま、ただの忙しい生活は虚しくなります。生きる目的を失い、仕事も順調にいかず、直ぐ疲れます。忙しいときこそ、仕事が多いときこそ、神の知恵が要ります。現代の生活の中、私達はどうすればよろしいでしょうか? 聖書を読める暇がないと言う状況なら、それを解消する方法を自ら見つけたいです。
2.不安定の日々
神はヨシュアに3回も連続して「強く、雄々しくあれ」とヨシュアを励ましました。彼は若い時からモーセの指導を受けました。モーセのそばにいましたので、あらゆる神の奇跡とみわざを経験しました。彼には誰よりも熱い信仰があります。神だけを頼りにする熱心な信仰者です。彼は勇気もあります。そのヨシュアに神は1章で「強くあれ、雄々しくあれ」を連発しておられます。神は彼の事が不安なので、念のために連発しているでしょうか? その理由は分かりませんが、彼を取り巻く環境は非常に不安定であることは確かです。まもなくカナン地に入ろうとしているので緊張しています。カナン地の住民は警戒心を持って待っています。そして、イスラエルの民はいつ不平不満を呟くか分かりません。イスラエルの民はいつでも不信仰者になりうる人々です。
不安定の日々が続く中、彼は聖書を読みました。人は聖書を読むとき心の平安を得ます。ヨシュアは勇気ある人ですが、いくら勇気ある人でも明日は臆病になることもあります。昨日と今日が違います。エリヤは昨日までバアル預言者450人と戦ったのに、次の日に臆病になって荒野に逃げました。ヨシュアは心が少しでも不安になるとき「強く、雄々しくあれ」と覚え続けました。緊迫した時には次々と心が不安になり、自然に「律法の書を口から離すことなく、昼も夜もそれを思う」ようになりました。
心の不安は聖書を読ませる良き働きをします。心が不安の時、聖書が読みたくなって神の平安を得ることがあります。困難の中で聖書を読み、心の平安を得たので、救われた人も大勢います。
不安の中、人はみことばを初めて手にすることがあります。藁にも縋る気持ちを誰も経験したことがあると思います。多くの人々が将来の不安を感じています。日本の多くの方が聖書を読みたくなる日が早く来たら良いですね。その日がリバイバルの日です。私達はその日を準備して行くために今日も聖書を読みましょう。毎日が不安の状況だったヨシュアにとって環境の不安定は聖書を読ませる底力になりました。彼はみことばを読みまして、その通りに生きて、素晴らしい神のみわざを経験しました。
結論
ヨシュアはみことばに全てをかけた人です。そのみことばを信じて、全て行いました。彼の人生は約束された通りになりました。
1:8「そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。」
私達もヨシュアのような生涯を過ごしたいです。
