<私達の人生の旅程> 民数記33:1~6 2026年5月3日

 皆様は旅行が好きでしょうか? 今年はどちらに行かれたのでしょうか? 国内旅行もあれば、海外旅行もあると思います。家を出発して、いろいろのところを見て、旅が終わりますと家に戻ります。中高生の時は修学旅行がありました。細かい旅程表を事前にお親にも配ります。一人旅であるなら、何の計画も無くても良いですが、団体で移動することになると旅程表が必要です。

 さて、イスラエル民はエジプトを出てから40年間たくさんのところで宿営しました。最初から旅程が決まったわけではなく、神の導きに従って宿営する度に、モーセが書き記しました。モーセは忙しさの中、彼らが宿営した場所を細かく書き記しました。神が書き記しなさいと命じられたからです。彼らは第一の月、その月の十五日に、彼らが住んでいたエジプトの地であるラメセスを旅立ちました。そして、約40年間数えきれないくらいの場所で宿営しました。モーセにとって一つ一つの場所を書き記すことはとても大事な仕事でした。モーセにとっては一つ一つ宿営したところが全部意味ある場所でした。荒野を旅したイスラエル民にとっても、一つ一つの場所が記憶に残る旅程でした。彼らの子孫たちも、カナン地に住みながら民数記33章を読む度にこれらの旅程は一つ一つが感動の地名です。

 しかし、私達にはこれらの場所を聞いても何の感動もありません。イスラエル人の旅程と私達と関係が無いからです。何千年前の人達と現在の私達と何の関係も無いからです。皆様も正直に、民数記33章を読んでも感動することは無いのではありませんか? けれども、神の御業による救いの記録として大事な資料です。イスラエル人にとって民数記33章に書いてある宿営した場所一つ一つが大事です。その意味では私たちにも人生の旅程と言える民数記33章があります。

 それでは、私達にとって民数記33章は何でしょうか? 私たちが感動する私たちの民数記33章があります。私達の教会には私たちが感動する教会の民数記33章があります。その意味で各教会はそれぞれの記念誌を作っています。50周年、100周年記念誌を通して各教会の歩み、教会の旅程を1冊の本で書き記して子孫たちに残しています。各教会の記念誌こそ、その教会の民数記33章だと思います。

 日本イエスの各教会も記念誌を作って全国にある日本イエスの各教会に配っています。東京教会にも多くの教会から記念誌を頂きました。各教会の貴重な歩みです。

 しかし、私達にはそこまでの感動ではありません。その教会の歩みであって東京教会の歩みではないからです。人々は自分たちの歩みに感動します。神と共に歩んだ人達は神の導きに感動したので、それを残したくて記念誌を作ります。しかし、人間は他人の歩みには関心が低いです。私達の子孫たちでさえ、私たちの歩みにそこまでは関心がありません。子ども達も自分たちの事で精一杯です。東京教会が記念誌を作ったとしても、子孫たちにはその感動が無いので、記念誌を読んでくれるかどうかは分かりません。

 しかし、それにしても私達は自分たちの人生の旅程、教会の旅程をどこかに残しておく必要は感じます。他の誰でもなく、自分たちのために残しておきたいです。民数記33章を振り返って一番感動したのは他ではなく、モーセ自身です。私達は自分たちの感動のためにも自分たちの人生の旅程を書いておきたいです。教会の旅程も私たちの自身のために残しておきたいです。どこかに残しておくために今日のメッセージを準備させて頂きました。

 信徒の皆様は個人の人生旅程を書き記して頂きたいです。その方法として証しをしました。教会のコンピューターに保管しています。しかし、それだけではなく、まとまった履歴書を1枚書いたらいかがでしょうか? 書いたものをできれば生前、子どもたちに見せて頂きたいです。お葬儀になって初めて親の経歴を知ったと言われないように私たちの人生の旅程を、途中ではありますが、一度お見せしましょうか? 私達が歩んできた人生の旅程、自慢したいところもあれば、見せたくないところもありますが、見せたいところは見せなくても良いです。大事なのは私たちの人生の旅程を主が共に歩んでくださった足跡が残っています。 教会も同じ意味です。