<我が家に何しに来たの> ルカの福音書19:1~10 2026年3月15日

東京教会の信徒の皆様

 主の御名によって愛し、祝福します。私は韓国ソウルの九老区にあるナムヒョン教会で仕えている尹英培と申します。ナムヒョン教会の宣教委員会の皆様と一緒に東京の地に来させて頂きました。皆様と同じところで礼拝をささげることができ、喜びで胸がいっぱいです。

 今日のメッセージを始める前に、僕が子どもの頃、友達と遊ぶとき、歌っていた歌を一つ聞いて頂きましょう。

「我が家に何しに来たの、何しに来たの、何しに来たの」

 お聞きになっていかがでしょうか? 初めてかも知れませんが、皆様もよく知っておられる童謡と同じものです。日本の昔からの童謡の一つである「花いちもんめ」です。この歌の中には微妙な緊張感があります。あの人が何しに我が家に来たの? 私から何を奪いに来たのか? 歴史学者の一説によりますと江戸時代に遡ります。あまりにも貧しくて、食料が無くて、子どもを一人でも減らそうとしました。子どもをたったの1匁銀貨一枚の安値で、よその家に送らざるを得なかったそうです。その悲しい取引の涙がこの歌に含まれています。皆様、この悲しい取引は過去のお話で終わりません。この世は今も絶えず、私たちを値付けています。

 韓国では六角形の人間と言う流行語があります。外見、学歴、資産、職業、家柄、性格まですべての面が完璧な人を意味します。日本の現実もそう違いは無いと聞いています。子ども達は偏差値と言う残酷な数字の前に立ちます。その数字が私の存在価値となってしまいました。偏差値の数字が低ければ、まるで不良品でもなったかのように顔が立ちません。教室の中でも見えない偏差値が付けられます。十代の学生は自ら「私は偏差値が低い、価値の無い人間だ」と自らを値打ちの無い人間扱いをします。青年になればどうでしょうか? 就活の息苦しい巨大な重荷に押しつぶされます。自分がどのような人間なのか、どんな色の夢を抱いているのかは全然大事ではありません。約束でもしたかのように同じ黒いスーツを着ます。同じカバンを持たないといけません。その枠から少しでも飛び出すとどうなるのでしょうか? この世は価値のない不合格と言う烙印を押します。青年たちは何十回の履歴書を書きます。そして、面接官の冷たい目の前で、心から叫び求めます。是非、私を選択してください。私を見捨てないでください。

 私にも価値があると言ってください。このようにこの世は絶えず門を叩きながら尋ねています。お前の偏差値はいくらなのか? お前は私達にどのくらい役に立つのか?

 今日の聖書の箇所には冷たい世の中、心が石のように硬くなってしまった一人の男が登場します。ザアカイです。彼はエリコの取税人の頭で、金持ちでした。この世の基準である六角形の基準で見たらいかがでしょうか? 彼はお金と権力を手に入れて成功した人です。けれども、彼の内面は散り散りに壊れたガラスのようです。当時、取税人は同族からお金を奪い取る売国奴でした。ローマ帝国に納める税金を搾取する人だったからです。ですから、ユダヤ人たちはザアカイを徹底的に孤立させました。孤立させることを日本語で表現させて頂きます。ザアカイは巨大なエリコの城内において村八分、つまり集団いじめに遭いました。皆様、村八分の本当の怖さは何かご存じでしょう。十の交流の中、喜びと悲しみの八つのことを全て断ち切ってしまうことです。ただし、火事とお葬儀、たった二つだけ助けてあげる慣習です。これらの二つを助ける理由はその人を愛するからではありません。火を消さないと我が家に火が移り燃えるからです。遺体を片付けないと村全体が伝染病になるからです。徹底して自分を保護するために助けることです。これはただの昔話ではありません。2021年、大分県宇佐市のある町で起きたニュースを聞いたことがあります。帰農した住民を町全体がいじめに遭わせたことで裁判になった現代版村八分ニュースがありました。

 このようなことは単に日本だけのできごとではありません。韓国も同じです。堕落した人間の本性の奥底をご覧ください。自分と違うと切り捨て、退ける残酷さが潜んでいます。ザアカイの家はとても広くて豪華でした。しかし、ザアカイの心が憩いを得るところはありませんでした。居場所が一つもありませんでした。ですから、彼はプライドを捨ててイチジクの木の上に上りました。木の葉っぱに隠れて、過ぎ通りのイエス様を密かに覗き見ようとしました。誰が私のような汚れた売国奴に会ってくれるだろうか? 自分は価値の無い人間だ。ところが、多くの群衆と一緒に通り過ぎていたイエス様が来られました。急に、急に、その木の下で足が止まりました。そして、木の葉っぱの後ろに隠れて震えているザアカイを正確に見上げていました。

 皆様、日本の美しい伝統工芸の一つの中に金継ぎというものがあります。大事にしていたお茶碗や陶器が割れました。けれども、それを捨てません。欠けたところを漆で埋め、黄金で飾ります。そうすると以前よりもはるかに大事で、美しい作品に生まれ変わります。この世は陶器が壊れると用無しなので、ゴミ箱に捨てます。人間もザアカイの人生が壊れた時と同じです。彼を村八分と言う冷たい視線の中に捨て置きました。しかし、命の金継ぎの匠人であるイエス様は違いました。イエス様は壊れかけたザアカイを見捨てないでこのように呼んでくださいました。

 ルカ19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。

人々は彼を罪人、売国奴、悪い奴と呼びました。

 しかし、イエス様はザアカイの両親が付けた純粋な名前、ザアカイよと親しく呼んでくださいました。よその家に勝手に立ち入ることはとんでもない迷惑です。けれども、イエス様は招かれていないその罪人の家に立ち寄ると宣言なさいました。この世は1匁の価値でザアカイと取引しようとしました。しかし、イエス様は何の条件も付けていません。何の代価も要求しないで、ザアカイの友達となってくださるために来られました。人々は文句を言いました。「あの人は罪人のところに行った」。イエス様はザアカイのせいで非難されました。けれども、イエス様はこの世の冷たい視線に屈することはありませんでした。一番寂しい者の居場所となってくださいました。イエス様を家に迎え入れたザアカイはどのように変わったのでしょうか?

 ルカ19:8 しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」

 生涯、お金ばかり握りしめて生きていた彼が自分の財産の半分を差し出しました。誰から要求されたのではありません。イエス様が彼に「お前、今まで搾取したお金、全部吐き出しなさい」と脅迫したことでもありません。ただ、無条件で愛してくださっただけです。木から降りて来なさいとお呼びになりました。あなたと一緒に食事しようと抱きしめてくださっただけです。その大きな愛の前でザアカイの氷のような心が粉々になりました。怒りと傷で石のように硬くなっていた心が柔らかくなりました。この驚くべき奇跡の前でイエス様は宣言なさいました。

ルカ19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

 イエス様がザアカイの家に来られた理由、今日、この地に来られた理由は一つだけです。私達を一匁で計算するために来られたわけではありません。失われた私達を探し出すために、イエス様の血の代価と言う無限の代価を支払うために来られました。 愛する信徒の皆様、昨日ナムヒョン教会宣教チームは横浜海岸教会を訪問しました。1872年、キリスト教が厳しく禁止されていた時代です。イエス様を信じることは直ちに社会的な死と埋葬を意味する時代です。その時、11名の信徒たちが集まって、日本最初のプロテスタント教会を建てました。彼らはどうやってあの恐ろしい村八分の集団イジメの恐怖に耐えたのでしょうか? 理由はただ一つです。ザアカイの名前を呼んでくださったそのイエス様に出会ったからです。壊れかけた人生を黄金のような恵みで繋いでくださったその主に出会ったからです。この世は彼らを退けました。しかし、彼らは喜びでイエス様を迎え入れました。自分の家に、そして、日本と言うこの巨大な地に喜びで主を迎え入れたわけです。今日、この巨大な東京のど真ん中に生活している皆様の心はいかがでしょうか? この世の価値観に疲れてしまいましたか? 私の心が憩える居場所さえないザアカイのように木の陰に隠れていませんか? その恐れの木から降りて来てください。今日、イエス様が皆様の心にお越し頂きまして心の門を叩いておられます。私が今日、あなたの心に中に入って、あなたと共に暮らす。この暖かい主の手をしっかり握って頂きましょう。無条件のイエス様の愛が硬い心を溶かしてくださいます。私達の壊れた生活を一番美しい金継ぎの作品として回復させてくださると信じます。この救いの喜びが東京教会のすべての信徒たちの生活と家庭に充満しますように主の御名によって祝福します。