この何年間、東京教会の毎月の第二週には証しがありました。皆様の証しを聞かせてくださいましてありがとうございます。今まで歩んで来られた人生を短くまとめてくださいまして、ありがとうございました。主が今に至るまで私たちを導いてくださいました信仰の結論が証しです。私たちの信仰の物語はこれからもしばらく続きますが、最後の結論が必要です。私たちにいつか最後の証言をする時間が来るでしょう。その日まで元気に生きたいと思います。
さて、今日の箇所には証言という言葉がたくさんあります。そして、証言と関係することば、表現もたくさんあります。マルコは証言者を連続して二人も立てました。一人はイエス様、もう一人はペテロです。イエス様は公式裁判の証言者であって、ペテロは非公式裁判の証言者です。イエス様はこの裁判において、最後の証言をするために長年間準備して来られました。しかし、ペテロは何の準備もなく、突然証言の場に立たされました。イエス様は真実を証言しましたが、ペテロは偽りを証言しました。
1.イエス様の真実の証言
祭司たちと最高法院全体はイエス様を死刑にするために証言を探していました。イエス様にとっては不利な証言です。イエス様はここで、ご本人が証言してしまうと死刑になります。証言しないほうが良いです。ここでは黙秘した方が良いです。
最高法院の人たちは偽りの証言者たちを立てました。不利な証言がずっと続く中、何人かが偽りの証言をしました。神殿と関連して偽証しました。ユダヤ教において一番敏感なことです。福音書の中、イエス様はユダヤ人たちと安息日のことで議論しましたし、食事の前に手を洗わないことで議論しましたし、罪が赦されたと言ったことで議論しました。
しかし、神殿は次元が違います。エルサレム神殿は神のご臨在の象徴であり、ユダヤ人のアイデンティティです。丁度、何日か前にこの神殿でイエス様の行動で大騒ぎがありました。神殿の周辺で商売をしていた人たちを追い出しました。エルサレム神殿における家畜をささげる儀式を邪魔しているかのような行動でした。そんなできごともありましたので、「この神殿を壊す、別の神殿を建てる」という偽りの証言はとても刺激的に聞こえます。
正確な真実は、イエス様はこの意味で話していません。「あなたがたがこの神殿を壊しなさい、そうすれば私が別の神殿を三日で建てる」です。すでに当時の神殿は祭司たちの堕落によって汚れていました。形だけの神殿で、中身は堕落した宗教施設です。しかし、それでもイエス様が現在の神殿を壊すとは言っていません。けれども、興奮している群衆の耳には主語は聞こえません。主語が肝心なのに主語は聞きません。「神殿を壊す、神殿を建てる」しか聞こえません。
この証言も結局は一致しなくて、イエス様がここで黙秘を続ければ、この裁判はこれ以上、続けられません。イエス様が死刑になることもありません。
不利な証言を聞いてもずっと黙っているイエス様に大祭司が最終尋問をしました。「おまえは、ほうむべき方の子キリストなのか。」
この質問に返事しなければ、イエス様を死刑にしようとしても、方法がありません。証拠がないからです。この質問にイエス様は「わたしが、それです」と返事をなさいました。返事をしなくても良いのに、なぜ返事をなさったのでしょうか?
マルコ1:1が答えです。「神の子、イエスキリストの福音の始まり」。「おまえは、ほうむべき方の子キリストなのか」に比べるとほぼ同じです。「あなたがほうむべき神の子キリストなのか」です。
イエス様が神の子であり、イエス様がキリストであることを証しするのがマルコ福音書の目標でした。マルコはその目標を目指してここまで書きまとめました。イエス様も今まで3年間のお働きが神の子キリストであることを証しすることでした。大祭司の質問に「No」という返事はあり得ないことです。イエス様もこの肝心な瞬間に「YES」というために黙っておられました。
私たちはイエス様から信仰の大事な教訓を頂きました。信仰者はどう生きるかも大事ですが、どう死ぬかも大事です。神の栄光のために元気に生きて来ましたが、最後も神の栄光のためなので、真実を言わないといけません。大祭司の質問は確かにイエス様を死に追い込むための罠でした。偽りの罠であることはイエス様もご存じです。罠から逃れるためにイエス様の一番大事なアイデンティティを否定するわけにはいきません。
「神の子」という表現だけではまだ足りないので、「天の雲とともに来る」と付け加えました。「天の雲」は神が現れる時の象徴です。イエス様の返事を聞いた大祭司は死刑を公に決めました。大祭司の裁判は政治的な裁判ではなく、宗教裁判です。ですから、大祭司が十字架刑を実行することはできません。十字架刑の実行はピラトだけができます。イエス様の真実の証言がイエス様を十字架刑にしました。
2.ペテロの偽りの証言
イエス様の真実の証言の後、ペテロの偽りの証言が続きます。イエス様が真実を語られた後なので、ペテロの偽りの証言はもっと目立ちます。他の弟子たちは皆逃げていたのに、ペテロだけはイエス様のすぐ近くまで行きました。イエス様の事を一番心配しているのははやりペテロだけです。そこまでは良かったですが、恐怖を感じると正しい人でも偽りを言います。ペテロは怖くなって知らないうちにイエス様の事を否定してしまいました。最初、否定してしまうと最後まで偽りを貫くしかありません。ですから、ペテロは1回、2回、3回、短時間で偽りの証言を続けました。
ペテロに向けられた召使いの女の証言は単純明瞭でした。召使いの女はペテロを以前、見たことがあるようです。目撃者の明確な証言です。目撃者は召使いの女だけでなく、他の男性の何人かがいました。ペテロがイエス様の仲間であるもう一つの証拠はガリラヤの方言でした。非常に興奮していたペテロの口から生々しいガリラヤの方言が次々と出てきました。目撃者も多くいて、方言を使って、ペテロは真実を言わざるを得ないところまで追い込まれました。噓ならのろわれてもよいと誓いをしないといけないくらい追い込まれました。正式な裁判でもなく、命が危なくなったわけでもありませんが、恐怖が彼を偽りの者にしました。
3.私達はどちらの証人
私達はペテロを偽りの弟子だと責めることができません。なぜなら、私達も現在、ペテロのように行動しているからです。私達は99%以上のノンクリスチャンの中に囲まれています。ペテロのように周辺から見られていることを無意識の中、恐れています。
「教会行っているの?」と言われた時、皆様はどのように反応しましたか? 江戸時代、「私はイエス様を信じているキリスト者です」と証したら命危ないです。しかし、今は証しても何の害もありません。けれども、周辺にあまりにも同じキリスト者がいないので、少数の中でも少数だから、キリスト者であることを隠したがる傾向があります。
それでも、主は私達をあわれんでくださり、赦してくださいます。イエス様も「神の子、キリストだ」と証されたのが今日の箇所が初めてです。マルコの福音書の特徴は他の福音書に比べると特に隠れていたメシアです。マルコ1章1節で「神の子、イエスキリストの福音の始まり」からスタートしたのに、最後の最後になってやっと「神の子、キリスト」である証言がありました。今までイエス様はずっと「人の子」と言う言葉を使いました。ペテロも今日の箇所では否定しましたが、未来はイエス様と同じく十字架にかかっても真実を証しする証人でした。
私達も同じではないでしょうか? 現在は人々にキリスト者だと見られていることを恐れていますが、長年間の信仰生活の中、いろいろの証しを経験した後、私達も変わります。私達も最後は明確に真実を証ししたいです。
