主管牧師 ごあいさつ

楊 慶運(ヤン・ギョンウン)牧師
生年月日 : 1970年9月29日
【経 歴】
・韓国の三番目の都市である大邱で生まれる。
・1985年に受洗。
・大邱大学経商学部貿易学卒業後、
総神大学校神学大学院卒業
・その後、1998年から2年間日本語学校で日本語を学ぶ。
・1998年牧師の按手を受ける。
・2004年GMS宣教師として日本に派遣される。
・2005年から荻窪栄光教会協力宣教師。
・2013年同教会副牧師。
・2014年4月から東京教会に遣わされ現在に至る。
私は未信者の家庭で生まれ、育ちました。自分が生まれた時、家族や親戚の中には信者が一人もいませんでした。韓国では珍しいほどです。家族の中、親戚の中、一人だけで信仰を守り続けることは寂しいことです。
最初、日本の教会に来た時、自分に似ているクリスチャンが多いことを知って嬉しくなりました。日本語学校を卒業してから、将来を決める時、国に戻らず、日本に残ることにしました。一人で寂しく信仰を守りながら頑張っている日本のクリスチャンと一緒に教会を守ることは意味ある生涯になると思ったからです。
人はもともと一人で生きるのではなく、二人で支え合いながら生きるものです。
世界中が激しい競争の中、共に生きる大切さを忘れてしまいましたが、聖書は「共に生きる、皆と一緒に生きる、隣人(弱者)と共に生きることを強調しています。東京教会はイエス・キリストの愛が共に生きるビジョンで具体化するように祈っています。
【趣味】
今年は三浦綾子氏の作品を知り合いの宣教師たちと読んでいる。
宣教師・伝道師 紹介

李 瓚 揆(イ・チャンギュ) 協力宣教師
生年月日 : 1969年4月1日
【経 歴】
・韓国の慶尙北道の義城で生まれる。
・1988年3月に受洗。
・啓明大學社會科學部經濟學卒業
・韓國west-minster神學大學院卒業
・2018年から中国で宣教師として活動。
・2023年牧師の按手を受ける。
・2023年Billion宣教師として日本に派遣される。
・2024年3月から東京教会に遣わされ現在に至る。
☆ 日本での働きの目標
いつも聖書のみことばを読んで、祈って、愛を実践することで、自分が先にイエス様の弟子になることです。
また、説教と聖書の勉強を通じて他人がイエス様の弟子になるようにすることです。
ペテロの手紙第一3:15「心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には,誰にでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。
【趣味】
色々な人々に出会うことです。

安達 恵都(あだち けいと)協力伝道師
【経 歴】
・宮城県仙台市出身
・高校卒業後、大学留学のために渡米する。留学先の大学生伝道とホストファミリーを通してイエス様を知る
・2012年 カリフォルニア州サクラメントにある日本人教会にて受洗。
・大学在学中は、日本人伝道と留学生伝道の働きに携わる。
・その後、2017年に帰国後、事務職員として働く。
・2021年 韓国 トーチトリニティ神学大学院のMdiv.過程入学し、2024年1月卒業
・2024年4月から、東京教会にて協力伝道師として働きを始める。
未だ福音を聞いたことのない若い青年たちが救われ、変えられ、神の子として大胆に歩めるように励ましたいです。またそれだけでなく、イエスキリストの弟子として、教会と周りの人々に仕えるリーダーを育てるお手伝いをしたいです。
私が教会に来たきっかけ・信仰の体験談

苦しみの中で見つけた宝物
高校時代にキリスト教に出会い、しばらくは熱い想いで教会に集い、神様と信徒と交わり、順調な信仰生活をスタートさせたと思っていましたが、困難にぶちあたる度になぜか神様から離れていく自分の姿がありました。
問題に向き合いたくない、真実と向き合うのが怖い等の自分の弱さから、神様との距離が遠く、遠くへと感じる状態に陥っていました。こんな問題が起こる自分はおかしいのではないか、神様の前に出るなどおこがましい、とみじめな自分と恥ずかしさで教会に行くこともできなくなりました。また自分自身で解決することが自信につながるという考えもあり、自分で納得いくまで様々な形で「検証」しないと満足できない者でもありました。
障害のある家族との生活、海外生活での挫折、余命宣告がつく病・・・様々な状況の中で多くの経験をしてきました。よい結果で終わることばかりではなく、心苦しい状況が数多くある中、小さな出来事の中でも「感謝」を感じることができていたこと、その時々に私のために祈ってくださった方々がいたこと、今も生かされていること・・・神様はどのような状況においても、いつも伴ってくださり愛してくださっていたことを心から知りました。
今でも様々な問題に直面していますが、神様の愛、御言葉によって知恵と勇気をいただきながら、神様が私に成してくださったことの「検証」を続けています。
クリスチャンとして挫折しても、疲れていてもいつでも来て休まっていってくださいという優しい教会との出会い、そして、曲がりくねって通ってきた弱き者の私の体験をも今後の糧として生きていくのだと自信を持って宣言できること、これはこの世でたったひとりの神さま、イエスキリストによるものです。
この素晴らしいイエスキリストを出会う方々に伝えることができることを心から感謝しています。
ヘブル人への手紙 12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

困難も恵み
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」(ロ-マ人への手紙 5:3~4)
私は福島県の郡山市で生まれました。中学1年の夏に教会のキャンプに行き、その時、イエス様を自分の救い主と信じました。信仰を持ってから、物事全てが上手くいくようになったかと言ったらそうではありません。むしろ思い通りに行かない事も多くあります。
高校を卒業し、私は看護師を目指そうと思いました。しかし、私は現役では看護学校に合格できず、浪人する事になりました。今年頑張って、果たして合格するのだろうかと考えると、とても不安でした。
しかし、「あすのことを思いわずらうな。」という聖書の御言に支えられ、とにかく一日一日自分が出来る事を精一杯やって、結果は神様に任せようと思いました。果たして、希望していた所に合格できて、東京に来る事になりました。
普通に考えると、一年間の浪人は無駄な時間だったように思いますが、その事によって、翌年浪人する事になったいとこを励ます事も出来ましたし、他の同じような経験をした人の気持ちも理解できるようになりました。そう考えると、神様が与えて下さった経験は、全て無駄ではないんだと思わされました。
今も病院の仕事の中で、安全に仕事をしたいと願いながらも、(大きなミスではないけれども)ミスをしてしまうような事があった時、「神様に祈っていたのに守られなかった」と思ってしまう事があるのですが、そういうミスを通して、更に今後につなげられるようにという神様のご配慮もあるので、それも感謝して受け止めるべきだと思わされています。何もかもスム-ズにいってしまったら、神様に感謝する事を忘れてしまうかも知れないし、困難な事を通して自分が強められていくという事も考えた時に、困難に出合った事も恵みなんだと思わされています。
最近読んだ、世界的な伝道者ビリ-グラハム先生の言葉が心に残りました。
「・・・問題のない人生などない。若い頃、私は自分の人生をキリストに献げる決心をしたが、それは主が私の人生の苦難を取り除いて下さるだろうと思ったからではなく、主がいつも私と共にいて、苦難に対処するための力を与えて下さると信じたからであった・・・」

暗い道でも、光があるなら
久しぶりに実家へ帰省した時の事です。夜も遅くなり、発車寸前のバスに急いで乗りました。一本逃がすとかなり待つので慌てて乗ったのです。いつものバスの停留所、デザインも似ていたので疑う事なく座っていましたが、なかなか着きません。その辺りはしょっちゅう店や道が変わるため、「ここ変わっちゃったな」とか「こんな道になったんだ」と思っていましたが、「それにしてもこんな所あったかな??」と、だんだん?マークだらけになってきました…。
それでもなかなか自分が間違えた事に気づかなかったんです。なかなか自分が間違っていると思わないものですね…。往生際が悪く、「まさか間違えてないよな…」と思いつつ不安になってきました。決定的に「こんな所知らない…」と気がつき、運転手さんに、「○○へ行きますか?」と尋ねると、「このバスは○○行きなので、そちらへは行きません」とのこと。そこで、どうしよう…と青ざめました。もう外は真っ暗です。地元とはいえ、自分の住んでいたのではない場所は未知の世界。おまけに田舎の夜なので、バスの照らす灯りのみで、街頭も寂しいくらいしかありません。田舎道は真っ暗です。
「もう少し早く言ってくれれば・・・」と運転手さんに言われ、ひたすら申し訳なく、「どうすればいいでしょう?」とすがりました。タクシー会社の見える所を回って下さろうとしたのですが、他のお客さんが「決まり通り急いで走ってくれ」と言われました。悪いのは私なので仕方ありません。そこで降りてもタクシーが通るとは思えません。
ひたすら神様にお祈りしていました。だいぶ走って、その最後のお客さんが降りると、運転手さんが「折り返し地点まで行かないといけないから、途中でタクシー会社の近くで止めてあげられるよ」と仰って下さいました。しばらくして道の途中で降ろして頂き、タクシー会社の灯り目指して歩きました。すると空きのタクシーがあり、すぐに帰る事ができました。料金も覚悟していたのですが、それほどの額にはなりませんでした。
知らない真っ暗な場所というのは、普段あまり経験しないためか本当に怖いものだと思いました。そこをバスの灯りが照らしながら進んで行く。光というものの有難さもよく分かりました。運転者さんは優しい親切な方だったので本当に心強かったです。
聖書に“たとい死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなたが私と共におられるからです。”とありますが、祈ることができ、その運転手さんのように神様が共にいて下さるなら、どんなに心強いかと思いました。闇の中を歩む時でも、遠くても、光が見えているなら目指して歩いて行けます。でも光が全く無かったらどうでしょう?一人きりならどうでしょう?神様を知っていて、闇の中にあっても光がある事を知っていて、神様がいつも共にいて下さる事を知っている…。なんて感謝なことでしょう。
その時のことは、今でも本当によく思いだします。世の中は不条理な事が本当に多く、確かなものなんてどこにもない…と思いますが、「思い煩うな。いつも喜んでいなさい」とまで仰って下さる神様を信じているという事は、本当に幸せな事だと思います。

私を待っていた方
私がイエス様を信じ、心に受けいれたのは25歳の時でした。それまでは特に信仰心があった訳でもない普通の学生でした。大学院まで順調に勉強に励み、そのまま行けば就職活動をするところですが、私は半年間、カナダへ語学留学に行く事にしました。理由としては、これからの将来に対する「未知なる人生への漠然とした不安」に怯えていたからだと思います。勿論、このまま社会に出ても、周りに合わせながらそれなりに生きていけるだろうとは思いました。しかし、レールから落ちる事を恐れながら生きる不安や、歳をとって余生を送ろうとした時、もしくは人生の最後に「悔いの無い幸せな人生だった」と思うだろうか・・・、仕事だけが生きがいで、それが無くなったら不安しか残らなかったら。そんな思いの中、先も分からないけれど、とりあえずカナダに行ってみようと決心しました。今思うと神様の導きだったのかも知れません。
カナダに行き、ホームステイ先の黒人の老夫婦にいきなり「マイボーイ!」と言って強く抱きしめられ驚きましたが、彼らはクリスチャンで日曜日には教会へ連れて行ってくれました。最初は英語の勉強のつもりでしたが、友人もでき、ご飯を食べるのも目的で家での聖書勉強会にも行きました。イエス・キリストやクリスチャンというものが、ここでは当たり前の文化の一つであり、余計な垣根や距離感はなくなりました。
部屋に帰ると、夜は時間がいっぱいありました。田舎ですし、テレビも英語でよく分かりません。結果、毎日パソコンで日記をつけながら自分と向き合う事になりました。そこで見えてきたのが、私の幼少の頃から「ある思い」でした・・・
私には4歳年上の兄がおり、小学生の時、癌で入院していました。母は毎晩、仕事が終ると病院へ行き、私は8時過ぎまで母を待っていました。日曜日は両親と3人で病院に行くのですが、私はガラスの向こうのいる兄に会う事は出来ませんでした。3年間の闘病生活後、兄は亡くなりました。色んな人が来て、私にも声をかけてくれましたが、私の中で兄の死に対する強い責任感が芽生えました。「ボクが兄の代わりにもっと生きないとダメだ」と。それが私の生きる基軸となりました。「兄の分まで頑張らねば」「兄なら今どうする」「兄貴、助けてくれ、守ってくれ」・・・その思いは時に兄に対する祈りの様でもあり、同時に自分を縛りつづける「鎖」の様でもありました。
ある聖書勉強会の時、親身に話しかけてくれた、あるクリスチャン夫婦にそんな思いを話しました。その時、彼らはこんな事を話してくれました、「想像して欲しい。あなたは自分の家にいて、イエスは外からノックしている。イエスを自分の家に迎え入れるか、入れないかはあなた次第です。ただ彼は、雨が降ろうと、嵐が来ようと、何日、何年経っても、あなたを待ち続け、ノックをしています。そしてドアを開いた時、彼はあなたに笑顔でこう言います、『あなたは悪くない。家にいれてくれて、本当にありがとう』と。なぜ怒らず、ゆるしてくれるのか? それはイエスがあなたを愛する事を決して止めない方だから。」と言ってくれました。
私はその時、なぜカナダに来たのか、なぜ漠然とした不安を覚えていたのかを悟りました。私は自分の心の家に閉じこもり、お気に入りの物や兄の思い出を並べ、「これでいいんだ。このために自分は生きているんだ!」と必死に言い聞かせ、いじけて家から出てこない、それが自分の姿でした。 そしてそれではダメだという事を、本当は気づいていたのです。
けれども、そんな惨めにいじけている自分をずっと愛して待ち続けている人がいるのに気付きました。そして頭の中でこんな光景が見えました。光り輝く玉座に兄が座っているのですが、イエス様と思われる人が来て、代わりに座り、兄はその人の肩をポンと叩いて去っていく光景でした。それ以来、兄への思いは「兄の分まで頑張らねば」ではなく、「今までありがとう。でもこれからはイエス様がいるから、もう大丈夫だよ」という言葉に変わりました。これがイエス様が私の心になされた救いのわざです。
皆さんも、ぜひ自分に問いかけて下さい。人生に漠然とした不安を覚える事はありませんか? 自分の心の家の中で「自分はこれで満足なはずだ」と無理に言い聞かせている自分はいませんか?
そんなあなたの全てを受けいれて、わけ隔てなく、ただ愛してくれるのは、神の御子、救い主イエス・キリストだけです。あなたを愛する事を決して止めない方です。