1.パウロ自身のためにお祈りを求める(2-4節)
パウロはコロサイ教会のために熱心に、絶えず、祈りました。信徒たちの信仰が成長するように祈りました。ここではパウロ自身のために祈ってくださいと教会にお願いしています。コロサイ教会にお願いしている祈りの課題は「神がみことばのために門を開いてください」でした。パウロが熱心に福音を伝えても、人々が受け入れてくれないと虚しい叫びに過ぎません。福音を伝えるのは人間ですが、人々の心を開いて下さるは聖霊なる神の御業です。ですからパウロは伝道の門を開いて下さいとコロサイ教会員にお祈りを求めています。
信じない家族に、友達に、近所の方に何を、どうすれば福音が伝わるのでしょうか? 堅く閉ざされている伝道の門を、何を、どうすれば開くことができるのでしょうか? 皆様は牧師の働きのために祈ることができます。私は皆様が生活の現場で良き証し人となるように祈ることができます。
東京教会の祈りの日は第3週です。互いに祈りの課題を分かち合います。祈りの課題が同じこともあれば、違うこともあります。信徒の皆様も私のために祈ってくださいましてありがとうございます。自分の祈りの課題も毎月変わりますが、これから変わらず、ずっと祈らないといけないことが一つあります。東京教会のために牧会が続けられるように祈ることです。健康的にも、事故・事件も無く、トラブルも無く、長く牧会が続けられるように祈って頂きたいです。
私達の教会も他の教会と同じく、牧師のために祈らないといけない理由があります。献身者が少ない今の時代、現在の牧師に問題が生じると他の方法がありません。日本イエスの各教会はこれからいつでも無牧になる可能性があります。現在の牧師が引退するか、病気になるか、天に召されるかになると無牧になります。次の牧師がいつ赴任するかめどが立ちません。この状況なので、各教会の先生たちは奇跡的に癒され、助けられ、守られ、支えられています。日本の教会は祈りによって毎年が奇跡の連続です。
2.外部の人に親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。(6節)
6節「いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。」
私達のことばが人々に親切にすることは分かります。私達のことばが塩味の効いたものは何でしょうか? 塩味は塩の味があることです。
親切だけではすぐ、無味乾燥になります。口だけの福音では人々に感動がありません。私達が言っていることが実際に行われる証拠が必要です。私達の言葉が実際になるためには人間の力では出来なくて、神の助けが必要であり、祈りによってできます。私達の祈りの通り、私達が言っている通り、神の助けが必要です。パウロやコロサイ教会の皆様はお祈りを通して神の御業を成し遂げました。
例えばこうです。
教会内部で:教会の自立、危機はチャンス、受けるよりは与える方が幸いと言っても。
教会外部で:神は愛であると言いながら自己中心的な信者であるなら、
私達のことばは現在、どのくらい塩味の効いたものとなっているのか考えてみたいです。自分が言っている言葉が何の影響力もないことを分かると無気力になります。信仰の祈りによって私たちのことばは塩味の効いたことばとなりますので、私達は絶えず祈り続けましょう。
3.オネシモが忠実な、愛する兄弟に変わる(9節)
オネシモの名前の意味は「有益な人」です。しかし、オネシモは名前の意味とは正反対に害悪のしもべでした。オネシモはピレモンへの手紙に登場するそのオネシモです。ピレモンへの手紙を参考にしてみるとオネシモは主人に損害を与えました。そして、奴隷なのに主人のところから逃げました。古代の奴隷が主人から逃げたら、命はありません。人生終わりです。
しかし、オネシモはパウロが監禁されたところに一緒に監禁されて、パウロから福音を聞いてイエス様を信じる信者となりました。牢屋の中でパウロを助け、良い働き人に変わりました。逃亡の奴隷が「愛する兄弟、忠実な奉仕者」と呼ばれています。害悪の奴隷が神の御国のために忠実な、愛する兄弟に生まれ変わりました。死ぬしかない逃亡の奴隷が、イエス様の働き人として生まれ変わること、福音の力です。奴隷がキリストを伝える自由人となりましたこと、これが福音の奥義です。一人の運命を変えるのが福音の力です。
オネシモ一人が変わるだけでも神の御業ですが、神の御業はもっと続きます。今度はオネシモの帰りを待っているピレモンの家の人たちの信仰も大きく成長します。オネシモはパウロを助ける働きを終わりにして、今度は元の主人であるピレモンのところに戻りました。ピレモンとその家の信者たちは逃亡したオネシモをイエス様の弟子として迎えました。
ピレモンへの手紙1章12節にこう書いてあります。
12そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
16もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。
17ですから、・・私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
オネシモが生まれ変わるのも神の奇跡であり、福音の素晴らしさです。そして、オネシモを受け入れるピレモンの教会も和解の祝福を体験しました。いかなる人でも和解できることは十字架の奇跡です。いかなる人でも生まれ変わることができることは十字架の御業です。
4.最後までパウロと共にいた忠実な同僚たち(10-14節)
(1)アリスタルコ、マルコ、ユスト(10―11節)
これらの3人はユダヤ人でありながら、キリスト者となった人たちです。マルコはペテロの弟子でマルコの福音書を書いた人です。マルコは若い時、パウロから離れたこともありますが、その後、和解してパウロを支える大事な働き人となりました。ユダヤ人でありながら最後までパウロの側に残った人は彼ら3人だけです。教会では最後まで皆と一緒に使命を全うすることが大事です。
(2)エパフラス、ルカ、デマス(12-14節)
ルカはルカの福音書と使徒の働きを書いた人です。彼は医師です。パウロが行くどこにもついていた忠実な働き人です。デマスは最後、パウロから離れました。この世のものを求めて、パウロから離れました。
自分自身も日本に来て多くの素晴らしい信仰者に出会いました。彼らと一緒に歩んだ信仰の道に感謝しています。そして、これからもしばらく同行する皆様との歩みを楽しみにしています。東京教会の歴史において重要な時期を皆様と一緒に歩む日々を楽しみにしています。
5.最後の一言:「私が牢につながれていることを覚えていてください」(18節)
パウロはコロサイ教会員に最後のお願いをしました。
「私が牢につながれていることを覚えていてください」
パウロが牢につながれていることを覚えていることは日々パウロを思い出すことです。牢につながれていることを思い出すと心配になります。心配になると最終的にはお祈りをします。お祈りしかないし、お祈りが一番です。 パウロが覚えてくださいという意味はパウロのために祈ってくださいでした。「覚えて、祈ってください」はセットです。私達も「覚えて祈ってください」と言う時が多いです。覚えていれば祈ります、覚えていないと祈れなくなります。私達は互いをどのくらい覚えているのでしょうか?
