主イエスはガリラヤを巡り、会堂でみことばを解き明かし、町や村で病を癒しつつ、神の国の福音を宣べ伝えてこられました。その中で主イエスは、群衆が「羊飼いのいない羊」のように弱り、迷い、傷つき、満たされないままでいる姿をご覧になり、心の底から深くあわれまれました。羊は臆病で周囲に流されやすく、餌場も危険も分からないまま、気づけば迷い出て命さえ危うくなってしまう動物です。
一方で主イエスは「収穫は多い」とも言われました。御国に入る備えが整い、福音に心を開く人が大勢いる、というのです。しかし、働き手が足りません。そこで弟子たちに、収穫の主に働き手を送ってくださるよう祈りなさい、と命じられました。やがて弟子たちは、その「働き手」として遣わされていきます。そんな弟子たち自身は、かつて主に名を呼ばれて集められた「収穫」でもありました。
学生宣教の現場でも、友人に誘われて聖書を読み始めた未信者が救いへと導かれ、また信仰に迷うクリスチャン学生が悔い改めへと導かれていきます。多様な学生が主のもとに集められ、成長し、次の働き手へと整えられていくのです。表面的な平和と繁栄の陰で魂が疲れ果てていた当時の群衆の姿は、物質的には豊かであっても不安や孤独を抱える現代の若者の姿と重なります。確かな拠り所を求めている若者は決して少なくありません。「最近の若者はキリスト教に興味がないのでは?」と問われることもありますが、深い空虚を抱え、より良い生き方を聖書から学びたいと願う学生は確かにいます。だからこそ、収穫に目を向け、働き手が起こされるよう祈る必要があります。最初は「伝道なんて無理です」と尻込みしていたクリスチャン学生も、同年代の交わりと学びを通して少しずつ整えられ、やがて遣わされたキャンパスで福音に生きる者へと変えられていきます。その生き方そのものが証しとなっていきます。福音宣教の鍵となるのは、働き手として遣わされるクリスチャン学生なのです。
そのような学生を励ますため、4月から安達先生が主事としてこの奉仕に加わります。ぜひ祈りに覚えてお支えください。私たち教会もまた、「収穫」として召され、職場・家庭・学校へと遣わされる「働き手」として、福音に生きていきたいと願わされます。
