今日は一つ一つの節が別々教訓のように聞こえます。ですから、今日の箇所を一つにまとめられるとしたら何をしようかと悩みました。悩んだ結果、「キリストの恵みを着なさい」と決めました。私達はキリストの恵みに覆われている者です。ところが、「恵みを着る」、12節に「寛容を着なさい」、14節に「愛を着けなさい」など、着ると言う言葉は抽象的です。文学的にも聞こえるし、独特なキリスト教の言葉だと思います。パウロがこのように着ると言うことばを好んで使っている理由はイエス様の受肉を着ると言う言葉で表現することから、わざと着ると言うことばを頻繁に使っていると思います。神である御子が人間の体を着てこの地に来られました。神であり、人間であるイエス様を現す独特なキリスト教の言葉が「着る」です。ですから、パウロもいろいろの形で着ると言う単語を使っています。
1.イエス様の性質を着なさい(12節)
8-9節で古い人を脱ぎ捨てなさいと言いました。古い人は「怒り、憤り、悪意、ののしり、恥ずべきことば」です。新しい人は「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容」です。これらの五つの事はイエス様がこの地上で見せてくださった姿です。一言で言うとイエス様の性質、イエス様の気質です。福音書で頻繁に見ていたことです。
「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容」が良いことであることは私達も分かります。私達もこのように生きたいです。しかし、なかなかできません。何を、どうしたらこれらの生き方になるのでしょうか?
「怒り、憤り、悪意、ののしり、恥ずべきことば」が悪いことを私達も分かります。直ちにやめたいです。しかし、なかなかやめられません。何を、どうしたらやめるのでしょうか? 頑張ればやめられますか。我慢すれば良いでしょうか? 私たちもイエス様のように生活したいです。私達がイエス様のように生きようと切実に求める時、徐々に変わります。そして、徐々に変わるようになっています。私達もイエス様に似ている人に変わるようになっています。
その理由は私達が神に選ばれた人だからです。神に選ばれた人は特別に恵まれた人です。お選びになったのが神ご自身なので、私達をお選びになった責任を取ってくださいます。私たちをお選びになった理由が聖なる者、愛されるものとするためなので、選ばれた人は願っても、願わなくて、人生の方向性はイエス様に似ている者になっていきます。けれども、切に求めるなら、もっと早くイエス様に似ているものとなるでしょう。
2.互いに赦し合い、互いに愛し合いなさい(13-14節)
イエス様が私達にくださいました一番難しい戒めの二つです。二つでありながら、集約すると一つです。今まで赦し合いなさい、愛し合いなさいは何回もメッセージをさせて頂きました。イエス様に赦された人が、誰かを赦すことができます。イエス様に愛された人が、誰かを愛することができます。私達は月のようなもので、太陽のようなイエス様から赦しと愛をもらわないと赦しと愛を発することができません。それにプラスして、今日は互いを強調したいと思います。
赦し合うこと、愛し合うことは言葉からも分かるように一人ではなく、二人の事です。互いに二人が赦し合い、愛し合うことです。一人にイエス様から罪が赦された喜びとイエス様に愛されている認識があります。もう一人がイエス様から罪が赦された喜びとイエス様に愛されている認識があります。一人にはイエス様の赦しと愛がありますが、もう一人にはないとしたら、互いに赦し合い、愛し合うことはできません。私達の教会が互いに赦し合い、愛し合う教会になるためには私達一人一人、全員がイエス様に赦され、愛されている体験が必要です。
3.キリストの平和(15節)
キリストの平和は二つの意味があります。一つはキリストが神と私たちを和解させたことです。もう一つはキリストご自身が平和そのものであることです。イエス様を信じることで私達は平和も一緒に頂きます。皆様は現在、平和でしょうか? イエス様を知らない方が共通して言っていることが一つあります。彼らから見るとキリスト者は不安なことがあるのにも関わらず、平和を保っているように見えることです。ハングル、ハンドベル、家庭集会の方々から聞いた共通の意見です。彼らの証しによりますと教会に通っている方々は落ち着いている、大変な事があるのに、落ち着いて対応しているのが不思議だと言われました。私達は気づかないうちにキリストの平和の中に暮らしていました。私達は気づいていませんでしたが、イエス様を知らない方からするとキリスト者は安定していることです。
平和のキリストが私たちのために平和を作り上げてくださいます。人々と仲良く生活できるように平和を築きあげてくださいます。平和は私たちの努力でできるものではなく、イエス様がくださるものです。ですから、私達はイエス様に日々感謝しましょう。
4.キリストのことばが内住(16節)
キリストのみことばが日々私たちの中にありますとそのみことばの力で、私達は落ち着きます。主の約束のみことばが私達に平和と平安をくださいます。主のみことばによって日々恵まれたことを信徒たちが分かち合いますとまた、慰めと励ましになります。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住む」ことはただの教えとか、諭しではありません。キリストの霊が私たちのうちに宿ることです。キリストのことばは聖霊と共に入りますので、私達に実際の力をくださいます。ですから、私達は聖書通読などを通して毎日聖書のみことばに触れましょう。
5.すべてを主イエスの名において(17節)
「すべてを主イエスの名において行いなさい」
L姉が一番好きな箇所です。姉妹の挨拶は「イエス様の御名によって、イエス様の御名によって」
実際は私達の生活はイエス様の御名によって生きています。私達はすべての祈りを「イエス様の御名によって」祈っています。去年の東京教会の聖句であるコリント第一の手紙10:31も同じ意味があります。 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」
