神の導きにより、LAチュウヒョン宣教教会の皆様と一緒に礼拝できる恵みを感謝します。
東京教会のために、神の御国のために奉仕してくださいました皆様に心から感謝します。今日の礼拝は私達にとって良い想い出になるでしょう。東京教会にとっても、アメリカから来られた皆様にとっても新鮮な経験です。
私達は住んでいる国が違いますが、同じ父なる神を礼拝しています。私達は使っている言葉が違いますが、同じ主を賛美しています。私達は、考えが違いますが、同じ主イエスキリストを信じています。私達は同じ神の家族で、主にあって一つです。日本の教会が一番好きなことばが信徒の一致です。韓国の教会が一番好きなことばは神の恵みです。今日は日本の教会が一番好きな信徒の一致を話したいと思います。
教会の中、信徒の一致は大事ですが、一致を保つことは難しいです。なぜなら、私達は同じ神の家族ではありますが、同じ信仰、同じクリスチャンであること以外はほとんど違うからです。今日一日は私達皆にとって素晴らしい想い出ですが、しかし、毎週このように一緒に礼拝しなさいと言われたら、互いに辛くなると思います。その理由は同じよりは違いが多いからです。国籍も、言葉も違います。考え方も、価値観も、信仰スタイルまでほとんど違います。私達はほとんどが違うのにも関わらず、主は私達に一致を保ちなさいと言われました。私達にとって一致を保つことは何でしょうか?
1.一致できない難しい状況
まず、一致を保つことは、現実には、不可能だと言えるくらい難しいです。パウロの時代、ユダヤ人と異邦人が同じ場所で礼拝しました。ユダヤ人は異邦人と一緒に食事すらしない時代でした。ユダヤ人は異邦人の家に訪問することが無い時代でした。ユダヤ人は異邦人を家畜のように考えていました。異邦人はユダヤ人を軽蔑していました。社会の中ではユダヤ人と異邦人が一つになることはあり得ないことでした。それなのに、教会の中ではユダヤ人と異邦人が同じ神を礼拝していました。
パウロの時代、主人と僕が同じ聖餐にあずかりました。主人と僕の身分の違いは天と地の違いです。僕は主人の財産の一部です。それなのに、主日になると彼らは同じ神の子どもとして、一緒に聖餐にあずかりました。
パウロの時代、男性と女性は乗り越えられない壁のようなものでした。それなのに、教会の中では一緒に教会のために奉仕しました。
ユダヤ人と異邦人、主人と僕、男女、当時からすると一つになることは不可能の組み合わせばかりです。それなのに、聖書は一致を保ちなさいと命じられました。
今の時代もまだ、状況は似ています。同じ礼拝の中、国籍が違い、言葉が違います。同じ礼拝ですが、文化が違います。アメリカはいろいろの人種が住んでいます。東京にもたくさんの外国人が住んでいます。私たちは同じ信仰ではありますが、アメリカ教会の信仰スタイルと日本の教会の信仰スタイルはずいぶん違います。韓国の教会は恵みを求めますが、日本の教会は信徒の一致を求めます。韓国人が日本の教会に定着することはとても難しい課題です。日本人が韓国の教会に定着することもとても難しい課題です。
違いを乗り越えることは努力すれば克服できるレベルではありません。人間の努力では不可能なことです。使徒の働き10:11でペテロが見た幻の箇所を見れば分かります。ペテロが幻の中、地を這ういろいろの虫を見ました。神さまはそれを取って食べなさいと命じられました。ペテロには不可能でした。この虫は異邦人を指します。「神がきよめた物をあなたがきよくないと言ってはならない」と言われました。違いを受け入れることは人間の努力でできるレベルではありません。日本の教会は、教会内部は一つを保っています。しかし、外部から違う者が入ることは難しいです。その意味で日本の教会の一致は内部だけの一致なので、50%しかできていません。
2.御霊による一致を保ちなさい。
イエス様が十字架を通して私達に一致をくださいました。そして、聖霊なる神の助けによって一致を保つことができます。聖霊なる神は一致のために、私達に同じ心をくださいます。聖霊なる神は私達にイエス様の愛を注いでくださいます。聖霊なる神が私達に同じ目標をくだいます。神の国のためにと言う目標をくださいます。神の栄光と言う聖なる目標をくださいます。その聖なる目標のために私達は犠牲を払います。
今回、遠いアメリカから大勢の方が来られました。長い時間を主のささげてくださいました皆様に感謝します。そして、かかった費用も少なくないと思います。聖なる目標のために喜んでお金を使ったと思います。聖なる目標のために長い時間を使ったと思います。私達は神の栄光のために一緒に礼拝しています。教会が一致することは聖霊なる神の奇跡です。
3.一致を熱心に保ちなさい。
一致できない要素がたくさんあります。ですから、一致は神の御業によるしかありません。その理由で私達は一致のために何もしなくて良いでしょうか? 何もしなくて良いのではなくて、「熱心に」保ちなさいと言っています。教会の一致は聖霊の御業しか無いのに、「熱心に」がついています。人間の努力があります。一致のために努力しないといけません。
その意味で考えると私達も教会の中、信徒の一致のために熱心に努力しています。信徒の一致のためにできる限り、教会の情報を公開しています。教会財政を1円まで完全に公開しています。毎月、役員会報告をしています。週報の中の教会のお知らせを細かく案内しています。教会会議はほとんど満場一致で可決します。そのために牧師や役員は絶えず忍耐と努力をしています。 信徒の一致はこれから私達が生きるために必要になると思います。教会は一致を呼びかけていますが、世界は一致を捨てようとしています。今まで世界は「一致」、「一つ」、「同盟」、「協力」、「助け合い」、「世界化」を強調しました。しかし、今は各国が各自で生きる時代となりました。各自で生きる時代になると「一致」、「協力」は言えなくなります。これから私達は幸せに生きるためにも一致を祈り求めたいと思いますが、皆様の考えはいかがでしょうか?
